中央区の通りを歩く 第18回清洲橋通り(後編)

第18回では、中央区内を通る清洲橋通りについて、通り沿いの日本橋浜町、日本橋中洲界隈、清洲橋などをご紹介します。


隅田川テラスから見た清洲橋

橋の西詰には重要文化財指定の記念碑が
建てられています

通りの最終地点となる清洲橋が架設されたのは、昭和3年3月のこと。それ以前は、明治のはじめ頃から、現在橋のある場所に中洲の渡しが設けられていました。清洲橋は関東大震災後の帝都復興事業の一環として、永代橋とともに計画された橋で、当時世界で最も美しいとされたドイツのケルン市にあった大吊り橋をモデルにしたと言われています。同橋は当時の最先端技術を駆使して建設されるなど、日本の橋梁技術史において歴史的価値が高いことから、平成19年6月には、永代橋、勝鬨橋とともに、都道府県が管理する橋としては初めて、国の重要文化財に指定されました。


6 久松町交差点

清洲橋通りと金座通りが交差する久松町交差点。金座通りを左折すると隅田川テラスへ、右折後に直進すると江戸橋のたもとへ出ます。清洲橋通りはこの交差点を境に徐々に人通りが少なくなっていきます。

久松町交差点。進行方向からは5車線の標識(写真左)が見え、その反対側には当然「進入禁止」の標識が見えます(写真右)

金座通り。このまま直進すると隅田川テラスへ
 
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おもしろ発見 その3
【日本橋七福神・大黒天に出会う】

第4回昭和通り後編で訪れた寶田恵比寿神社に始まり、いよいよこの松島神社で日本橋七福神、全制覇となりました! 松島神社に祀られているのは大黒天で、日本では豊穣を司る食物と財福の神様とされています。最後の参拝では、笠間稲荷神社のおみくじに入っていた金色の大黒天を握りしめ、二礼二拍一礼。本企画のさらなる盛り上がりを祈願しました。なお、日本橋七福神は寶田恵比寿神社と椙森神社それぞれで恵比寿神を祀っており、全部で8つの神社を巡ることになります。ぜひ挑戦を!


松島神社

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8 日本橋浜町二丁目界隈

日本橋浜町二丁目界隈には清洲橋通りに面して明治座があります。明治座前の交差点を左へ折れれば浜町公園へ、右へ折れれば人形町の甘酒横丁へ出ます。冷たい北風が吹く浜町公園には人影はほとんどありませんでしたが、入口近くに凜と立つ冬の木立が力強く見え、とても印象的でした。


明治座前



浜町公園へと続く道には
都営新宿線の浜町駅出入口があります



浜町公園入口

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8 日本橋浜町中ノ橋交差点

清洲橋通りと新大橋通りが交差する日本橋浜町中ノ橋交差点。第14回新大橋通り後編でも訪れた同交差点。五車線の一方通行はここで終わります。清洲橋通りから一本裏道へ入ると、大通りの喧噪とは対照的に、マンションやアパート、戸建てが並ぶ静かな住宅街でした。



日本橋浜町中ノ橋交差点


交差点のビル横には
梅の花が咲いていました



清洲橋通りから一本道を入ると
辺りは住宅街です

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9 日本橋中洲界隈

清洲橋通りの上空を首都高速が横切る日本橋中洲界隈。周辺には「あやめ」と名の付く公園やゲートボール場などがあります。その由来は、江戸時代に日本橋中洲に隣接する日本橋浜町三丁目に菖蒲河岸があったからだそうです。


日本橋中洲界隈。首都高速の周囲には
マンションが建ち並びます


あやめ第一公園は首都高速の真下にあります

 

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10 清洲橋

清洲橋通りはこの先江東区を横断し、荒川の手前、江東区東砂まで続きます。車の交通量は大変多いものの、橋を渡る人の姿はほとんどなく、代わりに橋上にはz冷たい風が吹き荒んでいました。同橋からは上流に新大橋、下流に隅田川大橋を眺めることができます。


清洲橋の橋上



橋上から上流の新大橋を臨む

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おもしろ発見 その4【昔あった川と橋を今に伝える地下道】

首都高速の下に「あやめ橋地下道」なる地下道を発見しました! この地下道は、地上部が首都高速の浜町インターチェンジの出入口にあたるため、歩行者用に設置されたもの。高速道路の真下には、東京オリンピック前まで箱根川が流れており、地下道のある位置に同川を渡る「菖蒲橋」が架かっていました。地下道の名前はこれに由来しています。通路の両壁にはあやめのデザインが連続して施されており、橋はなくとも、川と橋のあった街の歴史を現在へ伝えています。


あやめ橋地下道出入口


地下道内。壁にあやめのデザインが
施されています


地下道の地上部は首都高速の出入口

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