佃1丁目にある住吉水門を背にして見た大川端リバーシティ21。川を挟んで左側が元々は石川島、右側が佃島。
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第6回では、中央区内を通る八重洲通りのうち、新大橋通りとの交差点から新川界隈、佃界隈、清澄通りとの交差点までをご紹介します。
八重洲通りは、中央大橋を渡って隅田川を越えると佃に入ります。佃の旧町名は佃島で、江戸時代には石川島と佃島に分かれていました。石川島は、寛永3年(1626年)に船手頭の石川八左衛門が幕府から拝領して築いた島で、造船所や監獄(懲役場)などがありました。一方の佃島は、正保元年(1644年)に、摂津国西成郡佃村(現在の大阪府)から来た33人の漁民が幕府から拝領した島で、故郷の佃の名をとって佃島と名付けられました。佃島は、江戸時代を通じて将軍家用の白魚など魚類の調達を行うなど漁業の場として栄えました。佃煮の由来はこの佃島といわれ、幕府に献上して残った魚類を塩や醤油で煮込み、保存食としていたのが佃煮の始まりだそうです。現在の佃は再開発事業が進められ、大川端リバーシティ21の高層マンション群が建ち並んでいます。
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おもしろ発見 その3【友好の証、ここにあり】
中央大橋の真ん中、川上に面した高欄の外に一つの像が立っています。これは「メッセンジャー」と題された彫像で、隅田川とパリのセーヌ川の友好をつなぐ記念としてパリ市から寄贈されたものだそうです。 |
中央大橋の高欄から見た「メッセンジャー」像 |
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おもしろ発見 その4【突如現れた江戸風建物】
パリ広場から隅田川下流沿いに進むと佃公園があります。同公園内を探索すると、石垣の上に建つ江戸風な建物を発見! 灯台のように見えるこの建物、実は公衆トイレ! 江戸の昔にこの場所にあった石川島の灯台を模して建てられたものだそうです。
石川島の灯台を模した公衆トイレ |
佃公園内 |
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