中央区の通りを歩く 第12回江戸通り(後編)

第12回では、中央区内を通る江戸通りについて、通り沿いの日本橋小伝馬町、日本橋馬喰町、日本橋横山町界隈などをご紹介します。


問屋街の一角にある
横山町大通り

浅草橋のたもとにある
郡代屋敷跡の案内板

江戸通りの小伝馬町交差点より東に位置する日本橋馬喰町と日本橋横山町は、都内有数の繊維、織物、衣料などの問屋街。その歴史は江戸時代にさかのぼります。日本橋馬喰町には、古くから定期的に馬市が立ち、幕府の馬の売買や仲介を行う商人たちが数多く集まり、伝馬用の馬を供給していたそうです。その後、馬喰町一帯に関東郡代の屋敷が建ち、地方から出てくる人のために宿屋が増え、旅宿街になりました。これに伴い、付近にさまざまな問屋が集中するようになっていきました。問屋の拡大は横山町にも及び、幕末の頃には、宿の客のニーズに合わせて、呉服、小間物、紙、煙草、米穀、呉服、瀬戸物、板木など実に多様な店が集まり、明治以降、一大問屋街を築いていったそうです。


7 小伝馬町交差点

江戸通りと人形町通りが交差する小伝馬町交差点。第9回でも訪れた同交差点は、江戸通り沿いでは室町3丁目交差点に次ぐ賑やかさで、人の往来が絶えません。



小伝馬町交差点


冬の木立が続く小伝馬町界隈の通り沿い

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8 鞍掛橋交差点

江戸通りとみどり通り、馬喰町横山町西通りが交差する鞍掛橋交差点。以前は、江戸通りと交差するように竜閑川が流れ、橋が架かっていました。同川は戦後に埋め立てられ、現在は橋の名前が交差点名として残されています。


鞍掛橋交差点


竜閑川跡地には
植え込みとビルが並びます



みどり通り

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おもしろ発見 その4【問屋街の名物、新道通り】

日本橋馬喰町・横山町界隈を歩いていると、多数の商品と人で賑わう通りを発見!この通りは、馬喰町と横山町の境に位置する「横山町馬喰町新道通り」。問屋街の発展と活況を象徴する名物通りで、明治になって発展し、関東大震災復興以降、特に賑やかになった場所だそうです。店頭にあふれんばかりに陳列された婦人服、紳士服、下着、タオル、鞄、ネクタイ、靴下、手袋、帽子など、そのバラエティー豊かな品揃えを見て回るだけでも楽しい気分になります。


新道通りの入口


大勢の人で賑わう新道通り

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9 馬喰町交差点

江戸通りと清洲橋通りが交差する馬喰町交差点。この交差点から通り沿いの企業の業種が一変。ほとんどが繊維や織物、衣料品などを扱う会社のビルになります。いよいよ馬喰町と横山町の問屋街へ突入です。



馬喰町交差点


衣料品店などが建ち並ぶ通り沿い

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10 馬喰町1丁目交差点

江戸通りと馬喰町横山町仲通りが交差する馬喰町1丁目交差点。交差点の前後左右には、大小さまざまな問屋がひしめきあっています。その数の多さは、店の間にあるJR馬喰町駅の出入口を見逃してしまいそうになるほどです。



馬喰町1丁目交差点


問屋街の看板に混じって見逃して
しまいそうになる馬喰町駅の看板

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おもしろ発見 その5
【江戸最古の馬場、それは広重の名所江戸百景】

現在の馬喰町1丁目には、安政4年(1857年)に安藤広重が名所江戸百景で描いた「馬喰町初音の馬場」の場所があります。初音の馬場は江戸最古の馬場といわれ、その名称は馬場が馬喰町初音ノ森と呼ばれる場所にあったことに由来しています。慶長5年(1600年)には、関ヶ原の戦いに向けて馬揃え(馬を揃えての戦勝祈願)を行ったとされています。


初音の馬場があった現在の馬喰町1丁目

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11 浅草橋交差点

江戸通りと靖国通り、清杉通りなどが交差する浅草橋交差点。交差点地下には歩行者用の横断地下道が設置されています。また、交差点を直進した先、浅草橋の手前を走る柳原通りには、中央区の木「やなぎ」がたくさん植えられています。



浅草橋交差点



浅草橋交差点横断地下道の出入口


柳原通り

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12 浅草橋

隅田川からの気持ちよい風が吹き抜ける浅草橋。中央区内の江戸通りはここで終了し、同橋を渡り終えると台東区柳橋1丁目に入ります。橋の下には神田川が流れ、川沿いには舟宿が並んでいます。川の上流と下流にはたくさんの屋形船が係留され、出番を待っています。


浅草橋


舟宿がひしめく神田川沿い


浅草橋から神田川上流を臨む

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