中央区の通りを歩く 第14回新大橋通り(後編)

第14回では、中央区内を通る新大橋通りについて、通り沿いの八丁堀、日本橋茅場町、日本橋小網町、日本橋蛎殻町、日本橋浜町界隈などをご紹介します。


新大橋

新大橋西詰にある
震災避難記念碑

中央区内の新大橋通りの最終地点となる新大橋。現在の橋は昭和52年に架橋されたものです。隅田川にかかる他の勝鬨橋、佃大橋、中央大橋、永代橋、隅田川大橋、清洲橋、両国橋を含め「隅田川8橋」として、中央区「おはこ十八景」の一つに選定されています。 この橋には一つの大きな歴史が刻まれています。現在の橋の一つ前、旧新大橋は、明治45年(1912年)、それまでの木橋に替わって架けられた鉄橋でした。関東大震災の折、他の橋が焼け落ちる中、鉄橋の新大橋は火災を免れ、避難場所として、また遮断された各方面へ避難する道として、多くの人命を救ったそうです。それ以降、人々から「人助け橋」と呼ばれ、永く親しまれるようになりました。橋のたもとには、こうした一連の歴史を記した震災避難記念碑が建立されています。


8 八丁堀交差点

新大橋通りと八重洲通りが交差する八丁堀交差点。第6回でも訪れた同交差点。交差点近くには東京メトロ・日比谷線とJR京葉線の八丁堀駅の出入口があり、多くの人が通りを行き交います。


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9 日本橋茅場町界隈

新大橋通りは、日本橋茅場町界隈で永代通りと交差します。近くには東京メトロ・日比谷線と東西線の茅場町駅があります。この界隈は細い路地が多いのが特徴です。



東京メトロ・茅場町駅出入口付近


日陰の細い路地は涼しげで風情があります

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10 茅場橋

茅場橋は、下流から数えて日本橋川に架かる3番目の橋。上空には都心環状線が走ります。橋の下流には湊橋、上流には鎧橋がかかっています。橋の欄干の中央には、川を渡る舟の様子を描いたデザインが施され、日本橋川周辺が河岸として栄えていた江戸の頃を偲ばせています。


茅場橋前



川を渡る舟がデザインされた
橋の欄干



茅場橋の橋上から日本橋川上流を
臨む

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11 蛎殻町交差点

日本橋小網町と日本橋蛎殻町1丁目に接する蛎殻町交差点。この交差点は五叉路で、日本橋室町や日本橋箱崎町、日本橋人形町、日本橋浜町方面などへ向かう車で、大変混雑しています。



五叉路の蛎殻町交差点


日本橋蛎殻町界隈にも
細い路地がたくさんあります

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おもしろ発見 その3【日本橋七福神・福禄寿に出会う】

日本橋小網町にある小網神社には、日本橋七福神の一つ、福禄寿が祀られています。福禄寿は、その名前の通り、「福禄(=天から与えられる幸いという意味)」、「長寿」の神様とのこと。緑が生い茂る小さな鳥居には神秘的な雰囲気が漂っています。取材の無事を祈りつつ、しっかりとお参りしました。

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おもしろ発見 その4【日本橋七福神・布袋尊に出会う】

水天宮前交差点の少し手前で横道に入ると、茶の木神社があります。ここには、日本橋七福神の一つ、布袋尊が祀られています。布袋尊は、福徳円満の神様として広く信じられているそうです。第9回第10回の人形町通り・水天宮通りで、恵比寿神と弁財天に出会い済み。残りの七福神との出会いが待ち遠しいかぎりです。ちなみに、日本橋七福神の神社は、中央区「おはこ十八景」の一つです。

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12 水天宮前交差点付近

新大橋通りと人形町通りが交差する水天宮前交差点。第10回でも訪れた同交差点。交差点周辺は以前と変わらずサラリーマンと参拝客で賑わっていました。日本橋人形町はオフィス街ですが、通りを一つ曲がれば住宅もあります。


水天宮前交差点


通りを一つ曲がれば住宅街です

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13 日本橋浜町中ノ橋交差点付近

新大橋通りと清洲橋通りが交差する日本橋浜町中ノ橋交差点付近。交差点周辺には再開発後の真新しい高層ビルが建ち、ランチタイムともなれば付近の飲食店目当てに大勢の人が集まります。



日本橋浜町中ノ橋交差点


新大橋通りを走る錦糸町行きの
都バス・浜町2丁目のバス停


日本橋人形町と日本橋浜町の境には
木陰がなんとも涼しげな緑の道がありました

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14 新大橋

中央区内の新大橋通りの最終地点であり、通りの名前の由来でもある新大橋。橋を渡りきれば、江東区新大橋1丁目です。交通量の大変多い同橋、旧新大橋の時代には中央区築地と墨田区錦糸町を結ぶ都電が橋上を走っていたそうです。


新大橋西詰


新大橋橋上

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おもしろ発見 その5【多くの命を救った旧新大橋、ここにあり】

新大橋東詰の公園内には、関東大震災で多くの命を救った旧新大橋の親柱が保存され、残されています。親柱がそのまま橋灯の役割も果たしており、明治末期につくられたそのデザインからはモダンな雰囲気が感じられます。歴史を知って親柱の前に改めて立つと、ひっそりと立つその姿がより大きく見えました。


旧新大橋の親柱



新大橋の橋上から隅田川下流を臨む

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