第3回では、中央区内を通る昭和通りのうち、蓬来橋交差点周辺から銀座界隈、京橋界隈、八重洲通りとの交差点までをご紹介します。
昭和通りは、外堀通り、第一京浜、海岸通りが合流する港区新橋交差点から、中央区銀座、京橋、日本橋、日本橋本町、次いで千代田区岩本町や神田和泉町、台東区上野を通り、台東区三ノ輪交差点まで続く通りです。日本橋本町3丁目交差点から国道4号線に属し、三ノ輪交差点で日光街道と接続しています。
昭和通りは、大正12年の関東大震災後の復興事業によって新設された幹線道路です。完成は昭和6年。通りの名前はもちろん、「昭和」という新しい時代の名にちなんで付けられました。震災後の復興計画は、河川運河の改修、上下水道の改良、公園の新設、学校の建設、中央市場の建設など多岐にわたり、その中心となったのが幹線道路の整備でした。
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おもしろ発見 その1【巨大石、5つ佇む】
蓬来橋交差点から徒歩数分の場所へ寄り道。ここには、巨大な石が5つ積み上げられています。その後ろには「三十間堀」と題した区の説明板が…。それを読むと、これらの石は昭和27年に埋め立てられた三十間堀の護岸の石垣に使われていたもので、銀座8丁目の三十間堀護岸跡から発掘されたとのこと。写真一番右の石で約1.5トンあるそうです。 その昔、三十間堀はこの辺りからスタートし、現在の中央通りと昭和通りの間に位置して二つの通りと並行するように、北東に向かって流れていたそうです。 |
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おもしろ発見 その2【三十間堀の石垣、再び現る!】
新京橋交差点を右折し、京橋プラザへ近づくと、プラザの脇に立派な石垣があります。この石垣には、三十間堀の護岸跡から発掘された石が使われているそうです。
昭和通りを歩いていると度々出くわす三十間堀。その歴史の始まりは江戸時代にまでさかのぼります。堀が開削されたのは江戸初期の慶長17年(1612年)のこと。船入堀(船を入れるための人造の港)を整備するために、幕府が西国の大名に作らせました。幅が三十間(約54.5m)あったことからその名が付けられたそうです。ちなみに付近の昭和通りの幅員は44m。昭和通りより広い堀だったようです。 |
生け垣には三十間堀の石垣に関する区の説明板があります |
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おもしろ発見 その3【復興の証、83歳のコンクリート製すべり台】
「おもしろ発見 その2」の生け垣の隣に、コンクリート製の素朴なすべり台の姿が…。すべり台があるのは、京橋プラザ隣の京橋公園内。このすべり台は、大正12年の関東大震災後の復興整備の際に京橋公園と一緒に造られた代物。すべり台としては、区内で唯一現存する、貴重な復興の証、もちろん今も現役です。
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京橋公園
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