第10回では、中央区内を通る人形町通り、水天宮通りについて、通り沿いの日本橋人形町1〜2丁目、日本橋蛎殻町、日本橋箱崎町界隈などをご紹介します。
人形町通りは、新大橋通りと交差した以南は水天宮通りと名前を変えます。日本橋蛎殻町を通り、首都高速道路の箱崎ジャンクションの真下で日本橋箱崎町に到達。さらに直進すると隅田川とぶつかり、中央区内はここで終わり。隅田川大橋を渡った先は江東区佐賀になります。通りの名前の由来となった水天宮は、明治5年に赤坂から現在地の日本橋蛎殻町2丁目に移転。以後、安産の神様として広く庶民の信仰を集めていきました。大正に入り、人形町通りに市電が開通すると、通り沿いは水天宮への参詣客でますます賑わうようになったそうです。これに伴って、通り沿いには商店が増え始め、次第に人形町は東京で有数の商店街に発展していきました(水天宮周辺の錦絵を見る)。
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おもしろ発見 その3【日本橋七福神・弁財天に出会う】
安産、子授けの神様として全国的に有名な水天宮。ここには日本橋七福神の一つ、弁財天が祀られています。弁財天は七福神の紅一点、音楽や学問の神様で、古代インドでは河川の神、豊穣の神としても崇拝されたそうです。ご利益は、営業繁盛、利殖、学業成就とのこと。恵比寿神に続き、ありがたく参拝しました。 |
水天宮の中にある弁財天を祀った社
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おもしろ発見 その4【日本橋川に架かる第一の橋】
中央区内を斜めに横断する日本橋川。その最東端、隅田川との分岐地点に位置するのが豊海橋です。同橋は日本橋川に架かる第一の橋。元禄11年(1698年)の初架設以降、幾度か架け替えられ、現在の橋は関東大震災後の昭和2年9月に復興局により架設されたもの。江戸の歴史を今に伝える豊海橋は、中央区民文化財に指定されています。
豊海橋
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隅田川と日本橋川の分岐地点。
写真右側への流れが日本橋川
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豊海橋から日本橋川上流を臨む
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