
まちのホットな話題でもご紹介したあたらしい銀座のランドマーク銀座資生堂ビル。このビルのある8丁目と7丁目の間の通りは資生堂のシンボルにちなんで花椿通りと名づけられています。
資生堂は1872年(明治5年)に、日本で初めて洋薬を扱う薬局として、銀座に創業しました。海軍病院に勤めていた矢野義徹・前田清則・福原有信の三人が興した「三精社」の薬局として銀座でスタートし、名称を「資生堂」と定めました。
明治時代に日本ではじめての練り歯磨(福原衛生歯磨石鹸)や、初のビタミン剤と推定される脚気の薬(脚気丸)を発売するなど資生堂はヒット商品を次々と発売しました。現在なじみのある化粧品の製造販売を明治30年にはじめられました。それから大正・昭和・平成と常に時代をリードした商品を生み出しつづけてきました。建物の変遷を見ても、その時代時代の銀座の街にふさわしい姿を見せています。
次回は八重洲界隈をご紹介します。
このページの作成にあたり、数々の貴重な資料をご提供いただいた「資生堂企業資料館」様に、この場をお借りして御礼申し上げます |
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
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昭和12年頃の資生堂パーラーと化粧品部
(資生堂企業資料館 所蔵) |
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資生堂前のにぎわい(昭和3年頃)
(資生堂企業資料館 所蔵) |
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資生堂前の銀座通りには都電が走っていた(昭和42年)
(資生堂企業資料館 所蔵) |
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