明治時代の面影は銀座1丁目にある旧京橋の親柱の隣に残されています。「煉瓦銀座の碑」は明治時代実際に使われていた煉瓦を当時と同じ「フランス積み」に敷き詰め、煉瓦の町を照らしたガス灯の灯火も復元しています。
明治時代の銀座の名物は、煉瓦街とガス灯それに柳の街路樹でした。特に銀座の柳はその後も歌にうたわれるなど、人々に親しまれ続けてきました。なぜ西洋風の煉瓦街に柳が植えられたのかというと、当初は日本の代表的樹木として桜、楓、松を植えていましたが、元々は埋め立て地である銀座の地には根付かず枯れてしまい、その代役として選ばれたのが湿気に強い柳だったのです。「銀座の柳」は、その後道路の拡張や区画整理など、時代の流れの中で消えてしまう度に人々から懐かしむ声を受け二度、三度と復活してきましたが、今ではわずかにその姿を見せているだけになりました。町には「銀座の柳」を偲ぶ記念碑が所々に建てられています。 |
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