関東大震災で崩壊した銀座の街は、帝都復興計画により新しく生まれ変わりました。震災復興で建てられた建物の写真で、活気を取り戻した銀座の街を振り返って見ましょう。
銀座のシンボル的建物、4丁目の交差点にある和光は、1932年(昭和7年)に完成した建物です。当時は服部時計店ビルという名称でした。この建物はすでに基礎工事まで済んでいたところで震災にあい被害を受けたため、完成は震災から9年後になりました。1941年(昭和16年)、太平洋戦争がはじまると、軍事物資を作るために時計塔の飾り金具は全て取り外されました。1945年(昭和20年)にはたびたび空襲を受けるようになり、同年5月の大空襲で、服部時計店は時計塔の文字盤の三枚を壊され、銀座の町のほとんどが焼けてしまいました。終戦を迎えると銀座には進駐軍がはいり、服部時計店ビルは接収されてしまいました。接収時は進駐軍相手の日用品や飲食物を売るPX(ピーエックス)として使われました.。その外観は戦災や高度成長期の改築で変化の激しい銀座の中で、完成時の姿をよく残しています。
完成当時の店内を見てみると、地下一階から地上二階までの店舗には「東京の一等地にふさわしい一流で時代を先取りしたものをそろえよう」というコンセプトを元に商品が揃えられました。時計売り場では、ケースが左右に割れて文字盤が飛び出してくる婦人用の袂時計が人気を集めていました。 |
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