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外堀から日本橋川へ流れるところに一石橋が架かっています。橋の親柱の横に変わった石碑がたっています。正面には「まよひ子のしるべ」と書かれています。
江戸時代の後半、この一石橋から日本橋にかけては盛り場でした。そのため迷子も多く、町内で責任を持って保護をしなくてはなりませんでした。そこで安政4年(1857年)に、土地の有力者が世話人となって、この石碑を建てました。柱の右側には「志らす方」左側には「たづぬる方」と彫られています。その上にある四角いくぼみは、迷子やたづね人の特徴を書いた紙を貼り、それに心当たりがある人は迷子の消息を書いた紙を右側の窪みに張りました。この石碑は江戸の町に多くの人がいて賑わっていたことを物語っています。 |
たずぬる方 |
志らす方 |
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