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しかし、ヤン・ヨーステンの屋敷は、現在の明治生命館や三菱商事のあたりにあったと言われており、そこはまぎれもなく千代田区の丸の内で、今の八重洲の場所ではありません。
では何故、中央区に八重洲という地名が現れたのかを説明しましょう。
明治頃までは日本橋、京橋から丸の内に入るには、外濠を渡らなくてはいけませんでした。そこに架かっていた橋が呉服橋、鍛冶橋、そして丸の内の八重洲に通じる八重洲橋でした。
この八重洲橋が今の東京駅八重洲口の所に架かっていたのが地名の由来です。
大正3年、東京駅の開業の際には八重洲橋は撤去され、駅の乗降口も丸の内側にしかありませんでした。関東大震災後に東京駅八重洲口ができ、大正14年に再び八重洲橋が築造されました。しかし昭和23年の外濠の埋め立てにより橋は再び消え去りました。そして昭和29年に、日本橋呉服橋・槇町が八重洲と改称し、初めて中央区八重洲という地名が生まれました。 |
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