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老舗の佃煮屋「日本橋 鮒佐」の店先に松尾芭蕉の句碑が建てられています。ここは江戸時代小田原町と呼ばれていて、1672年(寛文12年)29歳の松尾芭蕉が、故郷である伊賀上野から江戸へとやってきて8年間住んだ場所です。
松尾芭蕉は当時「桃青」と称していて、日本橋魚市場に近い繁華街小田原町に住み俳壇での地位を固め、1678年(延宝6年)に俳諧宗匠として独立しました。句碑にある「発句也松尾桃青宿の春」とは、その翌年の正月に宗匠としての迎春の心意気を詠み上げたものです。その後、松尾芭蕉の江戸での住まいは深川に移り、1689年(元禄二年)には「奥の細道」の旅に備えて千住へと転居し、この年46才の松尾芭蕉は「奥の細道」の旅に出ました。その旅は3月の千住から始まり、8月に最終地大垣に到着しています。実際に「奥の細道」が完成したのは1694年(元禄七年)4月のことで、その年の10月、病に臥せっていた芭蕉は帰らぬ人となりました。享年51才でした。 |
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「日本橋 鮒佐」と芭蕉句碑 |
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芭蕉句碑 |
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