日本橋室町界隈

日本橋とオランダ

一部編入した安針町とは、三浦按針(みうらあんじん)に由来しています。三浦按針とはイギリスケント州生まれの航海士、ウイリアム・アダムスの日本名です。オランダ東印度会社の東洋派遣隊の航海士としてリーフデ号に乗り組んだウイリアム・アダムスは、慶長5年(1600年)、豊後国(今の大分県)佐志生(さしう)に漂着しました。そして徳川家康に召されて江戸に入り、日本橋の近くに邸宅、相模国三浦郡逸見村(今の横須賀市)に領地を与えられ、造船、砲術、地理、数学等に業績をあげ、家康、秀忠の外交特に通商顧問となり日英貿易に貢献しました。三浦安針という日本名は領地である「三浦」と航海士を意味する按針(水先案内人)からきています。現在、邸宅のあったところには、三浦按針遺跡がたてられています。

現在の室町四丁目には、江戸時代「長崎屋」という薬種屋がありました。長崎に駐在したオランダ商館長の江戸登城、将軍拝礼の際の定宿になっていました。将軍拝礼とは、日本の鎖国後、長崎出島で唯一貿易を許されたオランダが、そのお礼として年に一度江戸へあがり、幕府に献上品を携えて行った行事のことです。

商館長に随行したオランダ人の中には、ツンベルクやシーボルトなど一流の医学者がいたので蘭学に興味をもった多くの大名や日本人の医者が長崎屋を訪れ、外国文化の交流が交わされました。

長崎屋は現在のJR新日本橋駅の出入り口にありました。
三浦按針遺跡
三浦按針遺跡

JR新日本橋駅出入り口
JR新日本橋駅出入り口

長崎屋跡
長崎屋跡
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