東京証券取引所は渋沢栄一の提唱で創立された東京株式取引所が前身です。東京株式取引所は1878年(明治11年)に、渋沢栄一の他、三井養之助・三野村利助・福地源一郎ら実業界の有力者たちが、帳合米取引制度を大幅に取り入れた株式取引条例に基づく株式取引所の設立を出願し、大蔵卿大隈重信の免許を受けて設立されました。資本金は20万円、株主は95名でした。実際の売買取引は同年6月1日に開始されました。昭和になると戦時経済の進展により、証券市場に対する統制が高まりました。そして1943年(昭和18年)全国にあった11箇所の株式取引所(東京・大阪・横浜・名古屋・京都・神戸・博多・広島・長崎・新潟・長岡)を統合し「日本証券取引所」を発足しましたが、その2年後の1945年(昭和29年)8月に長崎に原爆投下後に休会し、その後1949年(昭和24年)に「東京証券取引所」が発足し正規の取引所が再開されました。
東京証券取引所を中心としてこの界隈には多くの証券会社が集中しています。その中には戦前の建物が今でも残されています。山二証券は大正末期、金万証券は1927年(昭和2年)、成瀬証券は1935年(昭和10年)に建てられました。これらはいずれも西村好時(にしむらこうじ)設計・清水組(清水建設株式会社の前身)施工による建物です。西村好時は第一銀行の営繕部に長い間籍を置き、この当時の銀行建築の第一人者でした。 |
山二証券 |
|
竣工時の山二証券
当時:山二片岡商店 |
|
金万証券 |
|
竣工時の金万証券
当時:カギサ商店 |
|
成瀬証券 |
|
竣工時の成瀬証券
当時:成瀬商店 |
|
|