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海運橋は現在首都高速都心線の真下にあたるところに流れていた楓川と日本橋川が合流する入口に架かっていた橋です。江戸中期には橋の東詰に御船手奉行(ふなてぶぎょう)向井将監(むかいしょうげん)の屋敷があったことから「海賊橋」(御船手頭は幕府の海軍のことで、「海賊衆」とも言われていた)、「将監橋」とも呼ばれていました。明治元年に縁起の良い名称の「海運橋」に改められ、アーチ型の石橋に架け替えられました。その石橋は関東大震災で破損し、1927年(昭和2年)に架け替えられ、石の親柱だけが記念としてのこされました。
この橋と共に錦絵に描かれたのが、明治6年に創業したわが国最初の国立銀行「第一国立銀行」の建物です。当時の建物は和洋折衷建築で、4階建・塔屋付・延264.5坪・高さ86尺、外面石積張り、柱・瓦などの外回り全てに唐銅を用いていました。設計施工は清水組(現清水建設)の二代清水喜助です。建築時は三井組が銀行用に建てたもので「三井組ハウス」という名称でしたが、建物が完成した明治5年にはまだ銀行制度に対する政府の方針が定まっていなかったため、翌年に創立された第一国立銀行(第一勧業銀行の前身)に譲渡されました。この建物は明治5年に完成してから国内外から高い評価を得ていましたが、明治31年に改築の為惜しまれながらも取り壊されました。
現在第一勧業銀行兜町支店の横に「銀行発祥の地」を記す銅板がはめ込まれています。 |
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