幕末の慶応4年(1868年)、築地居留地の設立にあわせて外国人の為のホテル「築地ホテル館」が完成しました。和洋折衷様式の築地ホテル館は日本初のホテルで、その姿は新しい時代を迎えた東京の新名所としてたちまち評判となり、多くの見物人が訪れ、絵師達は競って錦絵に描きました。
築地ホテル館は設計をアメリカのブリジェンス、実施案と施工を清水組(現在の清水建設)の二代清水喜助が担当しました。この二代清水喜助はバイタリティーに溢れる人物で、江戸に外国人旅館を建てるという情報を知ると、外国奉行に自ら工事請負を願い出て、工事の下命を受けました。そして完成した時には、ホテルの経営も引き受ける約束をしました。
完成したホテルの規模は、三階建ての本館(一部4階、塔屋付)と平屋からなり、延1619.7坪(約5354.4m2)、間口40.5間(約73.6m)、奥行34.0間(約61.8m)でした。
この築地ホテル館は、完成してからわずか4年足らずで焼失してしまったため、「幻のホテル」と言われていますが、幕末から明治への新しい時代の幕開けを象徴する建物として歴史にその名を残しています。
築地ホテル館があった場所は、現在の中央卸売市場の立体駐車場あたりです。 |
築地ホテル館其の二「東京繁華一覧」
明治2年(1869) |
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