『江戸』のまちづくり


徳川家康の入城<江戸の第一次建設>

15世紀中頃に太田道灌が坂東武者の棟梁江戸重長の館のあとに本格的な江戸城を築き、関東の中心として室町時代は賑わいましたが、道灌死後は一時さびれてしまいます。
しかし、それから約130年後の1590年に豊臣秀吉の国替えの命により徳川家康が江戸に入城します。当時、芝の土手に囲まれ、荒れ果てた地であった江戸に赴くことを、家康の重臣たちは反対しましたが、家康はその良港と背景の広大な土地に大きな発展の可能性を感じていたのかも知れません。進んで江戸に乗り込み大都市『江戸』の建設に着手するのです。

家康は当初、秀吉への配慮からか城造りではなく大規模な土木工事から着手します。 道三堀、小名川などの掘割工事、神田上水の始まりとなる小石川沼からの水道工事、千住橋・六郷橋などの基盤整備を1600年にかけて実施します。しかし、現在の有楽町駅周辺は日比谷入り江の中、まだまだ江戸の発展はこれからです。
江戸の第一次建設
江戸の第一次建設 1602年(慶長7年)ごろ 『慶長七年江戸図』による〔出典:「江戸の町(上)-巨大都市の誕生-」内藤昌 著/穂積和夫 画 草思社〕
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江戸は世界一の巨大都市 葦とすすきの生い茂る原野にて
江戸は中国 唐の都「長安」がモデル(江戸の都市計画) 江戸城はメイドイン伊豆?(江戸城の大構築)


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