「東海道五十三次」(ギャラリー参照)で知られる安藤広重は1849年(嘉永2年)から没年の1858年(安政5年)までの10年間を京橋で暮らしました。その住居跡は京橋1 丁目9番地、ブリジストン美術館裏の南東あたりにありました。東証コンピュータシステムの建物の角に説明板があります。
広重は、1797年(寛政9年)に定火消同心安藤源右衛門の長男として馬場先門の北角(千代田区丸の内2丁目、明治生命館付近)で生まれました。15歳で浮世絵師歌川豊広の門に加わり、美人画や役者絵を描いていましたが、後に風景画・花鳥画に転じ、天保4年頃からの「東海道五十三次」により一躍人気絵師となり、風景画家としての地位を確かなものにしました。
広重の住居の近くに狩野一族の中橋家狩野屋敷がありました。現在のブリジストン美術館南西となりの新八重洲ビルの裏、全国信用組合会館のあたりです。狩野派は室町時代末期の狩野正信に始まり、江戸時代に全国的に繁栄した日本絵画史上最大の画派です。江戸時代始めに鍛冶橋家の探幽が幕府の奥絵師(御用絵師)となると、江戸を中心に活動し、一族の四家が奥絵師を独占しました。また、地方大名の抱絵師も狩野家の派から専任されるなど、最高の流派を誇りました。江戸狩野四家は、鍛冶橋家の探幽、木挽町家の尚信、中橋家の安信、浜町岑信で、そのうち中橋家は江戸狩野家の宗家と認められた家柄でした。 |
「江戸名所百景 京橋竹がし」
(東京都中央区立京橋図書館所蔵) |
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