江戸の町の発展にとって、切っても切れないものに火事があります。「火事と喧嘩は江戸の花」と言われるほどに火事は多かったのですが、なかでも江戸城完成の17年後(1657年)に起こった「明暦の大火(振り袖の大火)」はすさまじいものでした。火は二日間にわたり燃え続け、江戸市中の大半と江戸城のほとんどを焼き尽くし、亡くなられた方は10万人以上にも及んだと言われています。
2年後に江戸城は復興されますが、その際、大天守は復元されませんでした。この明暦の火事をきっかけに、江戸城、市中ともに改造が行われました。その一つは、江戸城郭内に火除け地として西北からの火事の延焼を防ぐため、吹き上げ庭を設けました。これにより城郭内にあった武家屋敷はすべて城郭外へ移転させられました。その後、江戸は外堀の外へ大きく発展していきます。江戸市中は、その後も六年に一度は大火に見舞われますが、そのつどたくましく復興・発展していきます。 |
『江都大火實影(えどたいかじつえい)』 佐久間
晴岳 天保9(1838)年(東京消防庁消防博物館所蔵) |
|