■人形町甘酒横丁・浜町 |
甘酒横丁は、明治の初め、現在の甘酒横丁交差点の角に「尾張屋」という甘酒屋があり、大変な賑わいをみせていたことから、「甘酒屋横丁」と呼ばれるようになりました。当時の横丁は今より南に位置しており、道幅も狭い小路で、明治の頃から、水天宮や久松町の明治座、また、近くにあった寄席等で、多くの人が訪れ賑わっていました。「甘酒横丁」と呼ばれるようになったのは、関東大震災による区画整理で、現在の道幅になってからです。古くからの商店が残り、かつての日本の庶民生活を支えた江戸の職人技が今も受け継がれているところです。
日本橋浜町は、大川に沿った浜辺の町であったため、浜町と呼ばれるようになりました。明治維新までは武家屋敷でしたが、以降は「浮いた、浮いたの浜町河岸・・・」と唄われるように、江戸情緒を漂わせる街として親しまれました。明治6年頃より料亭が軒を並べるようになり、花街として大変華やぎました。現在も、昔ながらの下町の姿が息づき、浜町のシンボル明治座に訪れる多くの人々で街は活気に溢れています。 |
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