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■ 5月12日発行  このページの先頭へ
今年本願寺、来年波除神社
オール築地で350年フェスタ
 今から350年前、築地に本願寺が迎えられ、そして翌年に波除稲荷神社が建立されたことからこのほど築地の町会、団体が結束して「築地350実行委員会」を発足させ、今年から来年の「つきじ獅子祭」までの1年間を「TSUKIJI350年アニバーサリー」として、様々な取り組みを展開することにした。
 実行委員会の会長には連合町会長の小林高光氏が、委員長に築地7丁目町会の松江氏、事務局に築地4丁目の寺出氏が就任した。
 本願寺は日本橋の横山町にあったが明暦の大火で消失して移転を余儀なくされ、そこで佃島の門徒の協力で八丁堀の沖を埋めたてて新しい本願寺を建立したのが350年前。別項の佐原氏の著作が示すように、当時の場所は晴海通りのあたりであったといわれる。
 実行委員会では、5月24日(土)と25日(日)に、築地本願寺350「築(きず)きな祭」を開催することにした。オール築地のイベントで2日間、本願寺で多彩な催し物を展開する。24日正午からはオープニングセレモニーとして、中央区長、本願寺の副輪番、波除神社の宮司が挨拶する。引き続き、トーク・魚河岸野郎「日本一うまい魚の食べ方」ライブ・ちひろ─童謡詩人金子みすずの詩に曲をつけて、その世界を表現など。
 25日は10時から午後4時まで、築地鰹節問屋の「うんちく講座」、ライブ・クレージーエンジェルカンパニーなど。食のまち築地ならではの販売も用意している。問合わせTEL03(3541)1131。

佃島との因縁
 本願寺が、明暦の大火以後、築地に移転するに当って海上方百間の場所を埋立てるに功績のあったのは佃島の漁民であり彼等は「全部本願寺の信徒であったから、…御坊が八丁堀の海上を埋立て移転するに当っては熱心にその工事に従事した。この功によって爾来佃島の門徒は当別院と深い関係をもち、御茶所番人、墓地選定、幕守、非常時及び法要時の出役等は必ず佃島門徒の掌るところとなって今日に及ぶ」と(昭和12年、築地別院史に)記されている。
 築地移転後も本願寺は天明4、天保5、明治5、同6年の各年に炎上しており、また大正12年の震災にも堂宇を失ってしまった。
 その後昭和10年には3ヵ年の日時を要した鉄筋コンクリート造印度仏教式の現存伽藍が伊藤忠太博士の設計によって完成した
 これより先、別院は同所にあった墓地移転の計画を立て、昭和5年に杉並区和泉町の和田堀廟所を設け、築地にあった佃島門徒の墓もすべてここに移された。
 閑静で広濶なこの共同墓地には明治の閨秀作家樋口一葉、歌人の九条武子、弁護士花井卓蔵など知名の人々の墓もあるが一番目を引くのは、南無阿弥陀仏と、大きく刻んだ石柱と、その下の段に無縁塔と横に書かれた巨大な墓碑である。これこそは昭和7年3月に金子政吉(佃政親分)が、築地にあった多くの佃島出身者の無縁の遺骨をまとめて手厚く葬ったものである。佃政の墓所の手前には、もと佃島の明主であった森家の墓(寛文8戌甲年6月17日浄真)が昭和6年10月に建てられて居り、そこには佃島漁業組合建設の碑もある。
 なお神主平岡家は、云うまでもなく、仏教に関係がないからその墓地もはじめ谷中にあり、後に雑司ケ谷に移して今日に至っている。(佐原六郎『佃島の今昔』昭和47年「雪華社」刊)
 
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