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プロフィール
昭和36(1961)年9月20日、岩手県宮古市生まれ。「パブレストランうすけぼー八重洲店」に勤務し、日本橋の二丁目通 り町会青年部の一員として、また、貳通睦の会長として日々活動中。浦安にお住まいで、奥様と奥様のご両親、お子さまふたりの6人家族。
 中央区は江戸の中心地として発達し、明治以降も商工業の中心として、伝統を守って来ました。
その伝統の中には町人や武家の文化もありますが、身分の隔てなく江戸の人々がみな熱狂したのが祭りでした。
江戸には三つの官祭がありました。
神田明神、赤坂の日枝神社、根津権現がそれにあたり、中央区は日本橋川を境に神田明神と日枝神社の氏子に分かれます。
その昔、「神輿(みこし)深川、山車(だし)神田、だだっぴろいのが山王様」と歌われた日枝神社の山王様の祭りに、
中央区の日本橋界隈から参加する貳通睦(にとおりむつみ)の会長である下河原剛さんに今回はお話をうかがいました。
 
中央区との関わりはいつからですか?


 私と中央区との関わりは、この店(うすけぼー八重洲店)に勤めるようになってからです。7年くらいになります。ここに来てから、二丁目通 り町会の青年部で活動するようになりました。今はお祭りなどの活動を中心とする、貳通 睦の会長をしています。  中央区の中でも、特に二丁目通り町会の人間と言う意識はありますので、クリーンデイ(中央区主催の区内一斉清掃 本年は5月27日)とかわんぱく相撲(中央区在住在学の小学生以下を対象とした相撲大会 本年は5月27日)などの企画にも積極的に参加しています。私はサラリーマンですから転勤もあります。しかし、他所に行っても、この日本橋との関わりは続けていきたいと思っています。

 
現在のお仕事について、お聞かせください


 「パブレストランうすけぼー」は日本橋近辺ですと、この八重洲店のほかに本石町、京橋、八丁堀に店があり、それに昭和通 り沿いに新しく一軒できています。飲み物はニッカウイスキーを中心に、洋食に中華や和食も交えて召し上がっていただくパブです。この店の厨房で働いています。

 
貳通睦についてお聞かせください


 日本橋から東急百貨店跡地までが通 り一丁目、柳屋ビルから高島屋百貨店の角までが通り二丁目、さらにDICビルからが通 り三丁目となり、そのブロックから先の銀座寄りが京橋となります。これは江戸時代から続く呼び名で、五街道の基点である日本橋から南に向かっているブロックが通 り町のはじまりなのです。今では日本全国に大通り町会がありますが、江戸時代は通 り町と言う名はここでしか使えなかったと言われています。由緒ある名前ですから、町会でも大切にしていますし、私たちも半天を作る時には、この名前を背中に入れます。  通り二丁目町会の青年部の次にお祭りのための組織として貳通睦があります。お神輿を担ぐのには200人くらいの人手が必要です。青年部だけでは人手がどうしても足りなくなるため、貳通 睦の組織でそれに対応します。中央区の在勤在住者だけでなくても、やる気のある人で、お祭りに参加したい方でしたら歓迎しますよ。
 
すると貳通睦としては、どのようなことをなさっているのですか?


 江戸時代には幕府の官祭である天下祭りが三つありました。そのうちの二つが神田明神と日枝神社です。これがそれぞれ隔年に行われます。私たち貳通 睦にとっては、2年に一度のお祭りの準備がすべてと言っても過言ではありません。しかし、人を2年に一度のお祭りだけでつなぎ止めておくことには無理があります。日枝神社の山王祭りの陰の年(隔年でお祭りが行われない年)には神田明神のお手伝いをしたり、中央区内の、日本橋小舟町・八雲神社の天王祭(4年に一度)や築地の波除(なみよけ)稲荷神社、鉄砲洲稲荷神社や佃の住吉神社などのお祭りのお手伝いもします。お手伝いとは神輿の担ぎ手であったり、細かい準備をしたりといろいろです。  貳通睦の会員は、OLさんらも含めて30人くらいです。どのお祭りも準備と開催に関しては、人手不足です。ですから、互いに助け合わなければなりません。ほかのお祭りを手伝うというおつき合いは大切です。  お祭りの時期とは重なるものです。中央区は春が多いのですが、ひと月前に担ぎ手の確認である半天合わせがあります。祭りの前、ひと月間の土日はいろいろと仕事があり、すべてそこに集中する感じですね。大祭(来年6月中旬)の年は1月くらいから、山王祭の歴史の説明からお神輿の担ぎ方や半天の着方まで、細かい打ち合わせが続き非常に忙しくなります。
 
貳通睦での活動の魅力となると?

  服装から変わりますから、普段と違う自分に出会えます。個人として町を構成するひとりになったときにこそ、その人の器量 というものは分かるものだと思います。今の様な整理整頓されて安定した社会とは違ったところで、生き生きと交流する人間、江戸の町人の世界のようなものを感じられるのです。祭りのときの半天は薄着です。雨が降れば濡れるし、冬ならば寒い。お神輿の重さや足の痛さも、肌で実感できるのです。昔の人はそのような中で生きて来たのですから、それを本やテレビでなく、実際に身体で感じられる面 白さがありますね。
 
中央区の次の世代をになう若者として何かおっしゃりたい事は?


 中央区は歴史ある町ですから、伝統の継承をそれぞれにやっている人が多いです。若い人たちに言いたいのは、遠慮しないで「何かお手伝いすることはありませんか?」と溶け込んで来てほしいということですね。  今はお金が全てといった風潮です。でも、お金がなくてもやれることはいっぱいあるんだと言いたいですね。もっと時間を有効に使ってほしいと思います。その中で人のつながりも増えていきます。その個人と個人との付き合いを大切にすることで成長することがあると思います。
 
 下河原さんのお話を「パブレストランうすけぼー八重洲店」でうかがったのが3月28日。
その週の土曜日に日本橋小舟町の天王祭の半天合わせが、堀留区民館でありました。
下河原さんも二丁目通り町会青年部長とともに会場に行き、貳通睦と青年部の二つの半天を披露しています。
気風の良い男たちが規律正しくそれぞれの半天を披露する姿を見ていると、お祭りにかける熱気がひしひしと伝わってきました。
下河原さんの情熱は、お祭りと地域の日常のつながりを大切にしたいという思いに裏付けられています。
お祭り情報

小舟町天王祭

祭礼期日 平成13年4月19日(木)夕刻 遷座祭 宵宮 奉納演芸
     4月20日(金)午後 神幸祭 宮出し大神楽渡御
     4月21日(土)午後 大神楽渡御 宮入り 還座祭

御旅所・御神酒所 小舟町14番 堀留公園内
 4年に1度の小舟町八雲神社天王祭が行われます。小舟町の守護神である八雲神社は、神田明神境内に祀られています。八雲神社は大宝2(702)年に現在の皇居の吹上御苑に起立されたことかれらも、非常に由緒があります。元和2(1616)年の江戸城拡張の際に神田明神とともに現在地に移され、素戔鳴命(すさのうのみこと)を祀る天王社として三殿に分けて造営されましたが、その三の宮が寛文6(1666)年より小舟町持天王となりました。明治維新後、小舟町八雲神社と改称され、今日に至っています。
 江戸期の大きなお祭りである神田祭と山王祭は官祭です。天王祭は氏子各町の自主自前の祭りであり、その盛大さに江戸庶民は熱狂したものです。
 小舟町の大神輿は関東大震災で焼失しましたが、昭和7年に当時の飾り職人の技術の粋を集めて再現された華麗なものです。また、獅子頭、四神旗・鉾の大きさと華麗さは他に例のない素晴らしいものです。
 3月31日に半天合わせがありましたが、70近い団体が集まりました。この規模の大きさは中央区でも屈指のものです。ここには、賑やかな中にお祭りへの情熱が溢れていました。

2001年4月掲載記事  
※内容は、掲載当時のものとなります  
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