小学生の頃から春休みや夏休みになれば店の手伝いをしていましたので、いつも店で過ごしていたような印象が残っています。ですから、自分としてはなるべくしてうなぎ屋になったという気持ちです。料理のことは修業に出た「わかな」はもちろんのこと、2代目・父や店の職人に多くのことを教わりましたが、それ以上に女将であった祖母の影響は、とても大きかったと思います。
窮地に立たされても気丈に店を守る祖母から人生についての様々な話を、物心ついた頃から聞きながら育ちました。小学校低学年から店を手伝い始め、中学に入る頃には出前もし、いつとはなく自然に店を継ごうと思うようになりました。ですから、大学は夜学を選び、朝は築地に買出しにでかけ、昼間は店を手伝うという生活を送っていました。大学の法学部・政治経済学科で学んだ法律・政治・経済の講義は、実業の中にある現在、とても役に立っています。
大学卒業後、横浜にある老舗うなぎ屋「わかな」にて修業をさせて頂きました。多い時は1日2000人ものお客様がいらっしゃるお店で、その忙しさは言葉にできない程でした。この時期にはうなぎのさばき方だけでなく、出前やホールも担当させていただき、とても厳しく修業させていただきました。修業を始めて2年ほどで祖母が他界し、父だけでは切り盛りがむずかしいということで「いづもや」に戻りました。
|