その指導をしてくださったのが、西山清さんという方で、アマチュア写真家としては非常に著名な方でした。毎月課題が出て、それに沿って写真を撮ることで、技術も向上しましたね。西山さんは両国の方の町内会長もしていらして、地域に関する情報が早かった。都電が廃止になる、どこそこの建物が建て替えられる、堀や川が埋められるといった情報をいち早く知らせてくださり、写真の課題にもそういうものが多く取り上げられました。その様にして30年近く撮りだめたものが、今では貴重な記録になっています。川だったところがグリーンベルト(遊歩道)に変わり、人形町大通りを走る都電を前景に写した末広(寄席)も姿を消してしまいました。人形町界隈には映画館がたくさんありましたが、町の変化が激しかったのは、昭和48年のオイルショック前後10〜15年ぐらいの時期でしょうね。撮影して歩くのも忙しく、あちこち走り回った記憶があります。言葉では、なかなか伝わらないことも、写真があれば一目瞭然です。芳町の芸者衆がそぞろ歩く甘酒横丁の様子や町並みの変化を、写真は正確に再現します。また、俯瞰で撮った川と街並みの風景なども、数年後の同じアングルの写真では、川がグリーンベルト(遊歩道)に取って代わられています。
 写真展は平成に入り3回ほど開催しました。第1回が平成2年「人形町界隈写真資料展」、第2回は平成3年「感懐の昭和・隅田川から銀座まで」、3回目は平成5年「ジュサブロー暫(しばらく)をつくる」で人形町にアトリエをもたれた人形作家の辻村ジュサブローさんの制作過程を撮らせてもらいました。この界隈にはまだまだ撮りたい題材はたくさんあります。


 時とともに、街や人が変化して行くのは当然のことです。近所付き合いにしても、昔ながらのやり方が最善なのかというと、そうでもないでしょう。ただ、ここに住んで、暮らしている人たちには、自分の住む地域のことを良く知ってもらい、街や地域に愛着を持って欲しいと思いますね。

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                                                          2003年12月掲載記事
                                                ※内容は、掲載当時のものとなります