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その指導をしてくださったのが、西山清さんという方で、アマチュア写真家としては非常に著名な方でした。毎月課題が出て、それに沿って写真を撮ることで、技術も向上しましたね。西山さんは両国の方の町内会長もしていらして、地域に関する情報が早かった。都電が廃止になる、どこそこの建物が建て替えられる、堀や川が埋められるといった情報をいち早く知らせてくださり、写真の課題にもそういうものが多く取り上げられました。その様にして30年近く撮りだめたものが、今では貴重な記録になっています。川だったところがグリーンベルト(遊歩道)に変わり、人形町大通りを走る都電を前景に写した末広(寄席)も姿を消してしまいました。人形町界隈には映画館がたくさんありましたが、町の変化が激しかったのは、昭和48年のオイルショック前後10〜15年ぐらいの時期でしょうね。撮影して歩くのも忙しく、あちこち走り回った記憶があります。言葉では、なかなか伝わらないことも、写真があれば一目瞭然です。芳町の芸者衆がそぞろ歩く甘酒横丁の様子や町並みの変化を、写真は正確に再現します。また、俯瞰で撮った川と街並みの風景なども、数年後の同じアングルの写真では、川がグリーンベルト(遊歩道)に取って代わられています。 |