この一帯は江戸時代の寛永4(1627)年、能楽の金春家が屋敷を拝領していた地域で、随所に“金春“の名は知れ渡っていました。花柳界新橋の芸者衆を、金春芸者と呼んだのもそのひとつです。文久3(1863)年創業の銭湯「金春湯」は今も健在です。しかし、通りの名がよく知られていたのは明治、大正の頃までで、時の流れとともに忘れられつつありました。「何か形に残したい」という私の提案がとりあげられ、昭和53年には中央区教育委員会で区の重要旧跡として公認され、「金春屋敷跡」の銘板が建てられました。銀座金春通り会設立の直接のきっかけは、「便利だから、分かりやすいから」というだけの理由で、銀座内の通り名を統一しようとする動きに対し、江戸時代から続く由緒ある「金春通り」の名をぜひとも残していきたいと、地元の老舗の人たちが結束し、銀座金春通り会を発足しました。


 銀座金春通り会を発足させ、数年後のことでしたか、中央区主催の講演会で金春流家元の金春信高さんとお会いし、金春通りの話をしているうちに、地域の活性化のために何か出来ないかとご相談がありました。試行錯誤するうち、「もともと金春の能は田楽です。道幅8mあれば十分、路上で能をやりましょう!」という家元のひと言で、昭和60(1985)年8月に第1回の「能楽金春祭り」開催にこぎつけました。ゆかりの地に伝統芸能を根付かせようというこの催しは、地元と金春円満井会の協力体制で年々盛り上がりをみせ、今年(2003)年で第19回目を迎えました。
 真夏の銀座の夕暮れ時、ビル街の谷間で繰り広げられる演目は、千年の古儀にのっとった金春能の真髄。奈良以外では、なかなか見ることの出来ない幽玄な世界を満喫できます。身近で「伝統芸能」に接し、その素晴らしさを感じることで、後継者育成の一助になればとも思います。「能楽」は世界の無形文化遺産にも指定されましたし、みんなが大切に守り、育てていかなければならないものです。

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                                                          2003年10月掲載記事
                                                ※内容は、掲載当時のものとなります