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HOME > 特集 > 中央区都市観光編 > 第5回 ゆかたと中央区の粋な関係
 

 

 古くから日本の夏を涼しげに彩ってきた“ゆかた”。最近は、和装にあまりなじみのない若い人たちにも人気です。ゆかたの着心地の良さは、湿度の高い日本の夏にぴったり。また、新鮮で豊富な柄は、世代を越えて日本人のおしゃれ心をくすぐるようです。
 ゆかたの本場は東京。なかでも中央区日本橋かいわいは繊維問屋街として栄えたところで、独創的なゆかたで名を馳せた染色や呉服などの老舗が集まっています。
 毎年7月7日の「ゆかたの日」には、日本橋大伝馬町、堀留町などの銀行やオフィスで、社員たちがゆかたを着用。ゆかたの洗練された柄や巧みな染色の技術を競った江戸時代の情緒を、さながらによみがえらせてくれます。
 湯上がりにさらりと羽織ったときの、ゆかたの肌ざわりは最高。心地よいだけでなく、江戸っ子のおしゃれ心がいっぱいつまったゆかた。このさい、ゆかたの歴史を知って、ワンランク上の着こなしにチャレンジしてはいかがでしょうか。
 
ゆかたの由来
 ゆかたの語源は古く、鎌倉時代以前の貴族が湯浴みするときに着用した「湯帷子(ゆかたびら)」にさかのぼると言われています。江戸時代になり、町人文化の発展にともなって、ゆかたも進化してきました。
 天保の改革で、町人は絹を着てはならないという掟が出されてからは、木綿のゆかたがますます発達しました。絹を染める小紋と同じような、あるいはもっと手のこんだ文様を、木綿の反物に染めぬいたのが「長板染め」です。染料も町人に許された藍だけを使いながら、染めの技術と柄を競い、江戸っ子の心意気を示しました。
 また、当時、江戸っ子たちの人気を集めていたのが歌舞伎です。歌舞伎役者が楽屋で着るゆかたの柄をファンがまねる。それを見た人が、こんどは自分のひいきの役者の柄を着るといった具合で、流行の最先端を担っていたのがゆかたでした。
 時が流れ、染めの技法は変わっても、粋なゆかたの心は今も息づいています。
 
INTERVIEW 三勝株式会社 専務取締役 清水 敬三郎様
人形町の老舗『三勝(さんかつ)』に昭和26(1951)年入社。以来50年余りにわたってゆかた作りに携わってきた清水敬三郎様に、お話をうかがいました。
 
『三勝』さんが創業されたのはいつごろですか。
『三勝』は明治32(1899)年の創業だから、もう100年以上前のことになりますね。当時は創業者の名をとって、『天野半七商店』と言いました。織物問屋として始めましたが、明治37(1904)年に中形(ゆかた)専門の製造発売元になりました。今の社長は三代目です
 
清水様が入社したころの『三勝』の様子をお聞かせください。
わたしが入社したころは、ちょうど『三勝』の創業50年に当たるころでした。そのころ「三勝染」と言えば高級ゆかたの代名詞。初代の天野半七がたいそう気骨のある人物で、新しい柄をつぎつぎと考案し、関西の織物問屋の重鎮・稲西商店と協力して「三勝染ゆかた」ブランドを全国に売り出したのです。
 「三勝染ゆかた50年史展」が開かれたのは、昭和32(1957)年のこと。明治、大正、昭和の各時代にいちばん売れたゆかたの柄を再現して紹介しました。
 大正時代には、『主婦の友』と提携して雑誌のグラビアを飾ったり、昭和に入ると、宝塚スターの着る柄を「スター好み」として売り出したり、流行の最先端を行っていましたね。
 
『三勝』に入社されたきっかけは何でしたか。
わたしの父の清水幸太郎が『三勝』の専属で、江戸時代から伝わる長板本染の職人でした。これは長い経験と熟練の必要な技術で、昭和30年(1955)年には、重要無形文化財に指定されています。
 そのころ折付注染という技法が出てきていて、長板染めだと一日に15反しかできないところが、150反もできる。これでは、コストで長板が負けてしまう。そこで「これからは長板染めでは食えないから」と、父は二人の兄には別の道を進ませ、三男のわたしが織物の加工業界に入ったわけです。
 
当時の『三勝』さんの周辺はどんな雰囲気でしたか。
いま『三勝』があるところは「人形町」と言うけれど、昔は「芳町(よしちょう)」と呼ばれていました。芳町2の2番地だったんですよ。
 わたしが入ったころはすぐ近くを都電が通っていてね。問屋街だったから、夜遊ぶところもあんまりなかったねえ。社員さんたちはほとんど会社で寝泊まりしていたんですよ。
 偉いさんが接待するような割烹旅館が何軒もあったけれど、われわれ小僧はとてもそんなところへは行けないから、水天宮の『ダット』あたりへ飲みに出かけたりしましたね。
 日本橋の堀留町あたりは、今とは比べものにならないほどにぎやかでしたよ。車が通るときはしばらく人を通行止めにしなきゃならなかったりしてね。
 
中央区で仕事をしていて、良かったと思われる点はどこですか。
なんといっても、東京のまんなかだということですね。こちらが何も意識しなくても、相手の見る目が違うんですよ。このことは、地方に行くと強く感じます。
 やはり「中央区の」三勝と言えば、流行の最先端にいるという印象を取引先が持ってくれるので、ずいぶん商売がしやすかったと思いますよ。
 
最近、ゆかたが若い人たちにも人気のようですが、ゆかたブームについてどう思われますか。
最近のゆかたは、スクリーン(プリント)が主流です。ここ2、3年は国内生産が追いつかなくて、中国などで染色や加工を行うところが多くなりました。ただ、今年は買い手の側がスクリーンに飽きたせいか、長板本染の注文も増えています。
 スクリーンは熟練した技術も必要なく、ぺたっとプリントすればできあがり。長板は十七尺の板に生地を張って、両面に型を置いて、八本くらいの藍の瓶に順番に浸して染めあげる。表裏に型を置くので、昔は「裏の通らないのはゆかたじゃない」と言いました。
 浅草の三社祭りには藍染めのしるしばんてんを着てさっそうと出かけたものです。最近の北海道のよさこいでは、祭りが終わると、踊るときに着たゆかたが捨ててあるなんて言うけれど、本物だったらもったいなくてできないよね。
 本物は洗えば洗うほど色が冴えるし、古くなればおむつに、最後には雑巾に使える。今は実用品というより、趣味の品になりましたが、ブームをきっかけに、本物の良さを見直してもらえるとありがたいですね。


清水 敬三郎様
昭和8(1933)年生まれ。
昭和26(1951)年、天野半七商店(現 三勝)入社。
現在、専務取締役。
父は重要無形文化財「長板本染」の清水幸太郎氏

 

2001年7月掲載記事  
※内容は、掲載当時のものとなります  
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