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都市観光めぐり/中央区を識る
ラインナップ

 平成13年3月より「中央区企画編」として、中央区内の時期や季節、地域の特性、 区内で活躍する 団体をご紹介しております。これに追随する形で、平成14年4月より「中央区都市観光編」は、中央区の魅力を地域ご とに毎月紹介していきます。地域別に史跡等の観光スポット、有名飲食店等を巡り、ストリーミング配信 を行うことにより中央区の観光紹介に寄与します。

都市観光めぐり 中央区を識る


都市観光めぐり
第27回 銀座5〜8丁目編  [2003年5月収録]

 第二次大戦以後、焼け野原からのスタートとなった銀座の街は、築地の外国人居留地の影響を受け、英語で書かれた看板が通りを飾り、街路の表示も二ヶ国語で表記されるなど、街の様子はガラリと様変わりしました。
 さらにダンスホールやキャバレーも続々とオープンし、華やかな雰囲気が銀座の街を包み込んだと言われています。その勢いは1964(昭和39)年に開催された東京オリンピックで急激に加速。海外から訪れた大勢の観光客も銀座でのショッピングを大いに楽しみました。
 そして現在、銀座の街は国籍や年齢を問わずに多くの人を惹きつける、魅力いっぱいの観光都市となったのです。
 今回は海外の一流ブランドショップや伝統的な老舗の名店が軒を連ねる「銀座五〜八丁目」の散策ルートをご案内します。
第27回 銀座5〜8丁目編
第26回 銀座1〜4丁目編  [2003年4月収録]

 柳並木と煉瓦街に代表される明治時代の銀座の街は、多くの新聞社が拠点を築く、日本随一の情報発信基地でした。
 1923(大正12)年9月1日、関東大震災が発生。銀座の煉瓦街は幸いにも残りましたが、その後の復興計画で4丁目までしかなかった銀座が8丁目まで拡大され、現在の銀座の様相が完成しました。
 また、アールデコやロマネスクといった様式に則ったモダンで優雅な建築物が多く建てられたのもこの頃です。「おしゃれな街、銀座」の様相はさらに勢いを増し、1935(昭和10)年に入るとモガ・モボがあたりを闊歩するようになりました。
  今回は、東京オリンピック以降国際化に拍車がかかり、世界でも有数の商業都市となった「銀座1〜4丁目」の散策ルートをご案内します。
第26回 銀座1〜4丁目編
第25回 日本橋・橋の南側編  [2003年3月収録]

 中央通りを、日本橋を背に京橋方面へ向かうと、通りの両側には現代的なビルが林立しています。その中でも老舗のビルの入り口には、江戸や明治の時代から続く銘店の暖簾が悠々と掲げられ、伝統の香りが漂つてきます。
 この辺りは、江戸時代から商工業の街として栄え、日本橋や、魚河岸、商店等に集まる多くの人々が、通りを行き交い華やいだところです。そして現在も脈々と伝承される文化に新しい時代が溶け込み、更に魅力溢れる街となっています。
  今回は、時や様相は変わっても、今も尚、江戸の情緒が生きている「日本橋・橋の南側」の散策ルートをご案内します。
第25回 日本橋・橋の南側編
第24回 日本橋・橋の北側編  [2003年2月収録]

 江戸時代から街の象徴として、また、諸街道の起点でもある「日本橋」を背に、中央通りを神田方面へ向かうと、日本橋三越本店、日本銀行本店本館、三井本館など、明治時代から昭和初期の優れた西洋建築建物が、通りやその付近に残っています。
 この辺りは、古くから老舗や百貨店などに向かう買物客で溢れ、今も昔も変わらぬ賑わいを見せています。
 また、一歩裏通りに入ると、風情ある江戸の面影を残す街並みが見られ、大通りとは違った趣を感じることができます。
  今回は、日本橋の北側に位置する日本橋室町や本石町など、文化と歴史の香り高い「日本橋・橋の北側」の散策ルートをご案内します。
第24回 日本橋・橋の北側編
第23回 人形町・浜町編  [2003年1月収録]

 商人の町として江戸時代から繁栄した日本橋人形町。戦災を免れたため、その街並みの随所に江戸の情緒が残っています。
 街のメインストリート人形町通りと交わる、約400メートルの通り「甘酒横丁」には、三味線やつづらの店、飲食店等、古くから暖簾を守り続ける商店が軒を並べています。
 この通りを抜けると、そこは日本橋浜町。清州橋通りの角に、演劇の殿堂「明治座」が姿を現します。
第23回 人形町・浜町編
第22回 クリスマス&年末年始特集  [2002年12月収録]

 今回の今月の特集は、番外編として、クリスマスを彩るイルミネーションの見所、2002〜2003年にかけて年末年始に中央区の各所で行われる催しや、新しい年の福徳を願って各神社を巡りながら、下町の情緒にふれることのできる「日本橋七福神巡り」のコースなどの情報をお届け致します。
第22回 クリスマス&年末年始特集
第21回 西銀座編  [2002年11月収録]

 日本一の商業街、銀座。古くからの老舗や、百貨店、有名店舗に加え、世界のブランドショップの進出など、世界が注目するショッピングゾーンです。
 この発展は、文明開化に始まり、煉瓦街の「柳並木」、街を闊歩する「モボにモガ」、通りを何気なく歩く「銀ブラ」、数寄屋橋を舞台にした「君の名は」、それに銀座の街を歌った曲の数々。今も昔も、新しい文化や流行はこの街から生まれています。
  今回は、昔懐かしい銀座の象徴、柳並木も三年前に見事に復活し、グルメやファッション、芸術など、見所も豊かな西銀座の散策ルートをご案内します。
第21回 西銀座編
第20回 晴海編  [2002年10月収録]

 中央区の最南端、埋立てによってできた街「晴海」。
 南東には晴海埠頭があり、クイーンエリザベス2世号をはじめ、日本を代表する帆船等が停泊する東京の玄関口として知られています。
 2001年4月にオープンした21世紀の未来都市「晴海アイランドトリトンスクエア」や、晴海埠頭周辺の絶景スポットや街に広がるユニークな施設の数々等、多彩な魅力に溢れる街です。
 今回は、潮風が吹きぬける「晴海」の散策ルートをご案内します。
第20回 晴海編
第19回 人形町編 パート1  [2002年9月収録]

 江戸時代から商人の町として栄えた人形町。
 街の名物、人形焼のお店からは甘く懐かしい香りが漂い、江戸の情緒を残す三味線のばち、つづら、扇子の各専門店や、長い行列を作る昔ながらの飲食店の数々が並びます。
 この街のメインストリートである人形町通りの両側を始めとする商店街は150軒以上のお店が軒を並べ、創業100年を越える暖簾を受け継ぐ老舗が数多く残っています。
 今回は、安産祈願等で名高い水天宮や歴史深い名所等も含め、道行く人の目を大いに楽しませてくれる下町情緒溢れる街、人形町(人形町通りから水天宮通りまで)の散策ルートをご案内します。
第19回 人形町編 パート1
第18回 京橋編  [2002年8月収録]

 営団地下鉄「京橋」駅を出ると、江戸時代からのメインストリート、中央通りがあります。
  日本橋から京橋、銀座を経て新橋へ向かうこの通りは、現在は、日本有数の大企業のオフィスビルが建ち並ぶビジネス街です。
  江戸時代の東海道と殆ど道筋は同じで、その賑わいは現在も変わりません。この中央通りと昭和通りに挟まれた京橋1・2丁目辺りの通称「骨董通り」には、約40軒の美術関係の店が並び、大通りとは違った趣を見せています。
 今回は、東京駅を背後に銀座と日本橋の間に位置し、江戸時代から町人の町として発展し、文化と芸術の香り漂う京橋の散策ルートをご案内します。
第18回 京橋編
第17回 築地・明石町編  [2002年7月収録]

 営団地下鉄「築地」駅1番出口左の築地本願寺の先、築地4丁目交差点に着くと晴海通りの向こうに築地場外市場のアーケードが見えます。 この辺りの早朝は、長靴を履いて竹製の四角いかごを抱えた白衣姿等の市場帰りの人達が足早に行き交います。
  場外市場に沿って勝鬨橋方面に進み、軍艦操練所跡の説明板付近から晴海通りを渡り、隅田川に並行し北に進むと、明治初期から中期にかけて一帯が外国人居留地だった明石町です。
  この辺りは異国情緒が漂う当時の面影を色濃く残し、史跡旧跡も多く残ります。
  今回は、大変な活況を呈す築地場外市場から文明開化の幕開けが偲ばれる閑静な佇まいの明石町界隈までの散策コースをご案内します。
第17回 築地・明石町編
第16回 月島・佃観光編  [2002年6月収録]

 明治25年、大東京港建設用地として造成され、工業地帯や住宅地域としての発展を続け、今や東京の新名所「もんじゃストリート」のある街として注目を浴びる月島。
  正保元年、摂津国西成郡佃村(現・大阪府西淀川区佃町)から幕府に呼び寄せられた漁民たちによって築かれ、佃煮の発祥地としても名高い佃。
  共に、関東大震災や太平洋戦争の影響を直接受けず、路地裏の風情や人情など江戸の下町情緒を今に保ち、貴重な史跡や文化財も随所に残しています。その反面、急速な近代都市化により、巨大な様相を誇る超高層マンション郡が建ち並ぶウォーターフロントとしての一面もあり、新旧が混在した新しい街へと変貌を遂げています。
  今回はこの月島と佃の散策ルートをご案内します。
第16回 月島・佃観光編
第15回 浜離宮恩賜庭園観光編  [2002年5月収録]

 都営大江戸線「築地市場」駅A1出口を出て、新大橋通りを新橋(左)方面に進みます。
 右のビル郡と左の築地市場の間を進み、更に道なりに行くと左手に徳川将軍家の別邸、皇室の離宮として知られ350年の歴史をもつ「浜離宮恩賜庭園」の南門橋が見えてきます。
 橋を渡り、庭園に一歩足を踏み入れると、都会の喧騒から一転、穏やかで風光明媚な景観が広がります。75,000坪、東京ドームの5、5倍の敷地には、都内唯一の潮入の池と鴨場の他多くの見所があります。
 涼しげな木陰の道を歩けば、野鳥のさえずりと爽やかな風、足元には可憐な野草等を見ることもできます。
第15回 浜離宮恩賜庭園観光編
第14回 築地場内観光編  [2002年4月収録]

 営団地下鉄「築地」駅1番出口から、築地本願寺を左手に新大橋通りを進み晴海通りを渡ると、活気あふれる築地場外市場があります。この場外市場に沿って歩くと磯の香りが漂ってきます。
 そこが日本一の魚市場「東京都中央卸売市場築地市場」です。都営大江戸線を利用すれば「築地市場」駅A1出口からすぐ隣りです。
 普段は許可された業者以外は立ち入りが許されない「競り」の現場や「仲卸し店」の様子、また私たち一般の人でも気軽に利用でき、おいしい飲食店、新鮮な食材や関連商品等の店がいっぱいの、食の宝庫「魚がし横丁」等をご案内します。
第14回 築地場内観光編

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中央区を識る
第13回 美味しくて遊び心さそう下町の味、月島もんじゃ
[2002年3月収録]


 中央区のウォーターフロントといえば、トリトンスクエアを先駈けに再開発の進む晴海地区や佃リバーシティーの高層住宅群に象徴される超近代都市の表情があります。
 そして、もうひとつは、月島、佃地域の商店街や路地裏にみられる下町情緒あふれる風情。
 今回の特集は、下町の味「もんじゃ焼き」を表看板にかかげ、より多くの人に月島を訪れて欲しいと活動されている、月島もんじゃ振興会会長の村田耕作さんにお話を伺いました。
 味はもとより、この土地に根ざした人情、風情、まるごと触れて、浸ってみるのはいかがでしょう。
第13回 美味しくて遊び心さそう下町の味、月島もんじゃ
第12回 晴海アイランド トリトンスクエア  [2002年2月収録]

 1月は晴海アイランド トリトンスクエアの第一生命ホールをベースに音楽活動をしているトリトン・アーツ・ネットワークをご紹介しました。
 今月は、晴海アイランド トリトンスクエアを管理・演出している晴海コーポレーション石川唯夫社長に話を伺いました。職・遊・住の理想を実現し、花と水と緑に囲まれたトリトンスクエアは、あなたの生活に新しい感動を与えてくれるはずです。
第12回 晴海アイランド トリトンスクエア
第11回 晴海アイランド トリトンスクエアに「第一生命ホール」
[2002年1月収録]


 晴海アイランド トリトンスクエアに「第一生命ホール」ができました。そのホールを拠点にして、「音楽を通して人の輪を拡げよう」という活動に取り組んでいるNPOの団体があります。それが、トリトン・アーツ・ネットワーク(TAN)です。 TANは、特に晴海、勝鬨、月島を中心として、『芸術活動』と『コミュニティ活動』を二本柱とし、さまざまな音楽活動によって文化的な支援と新しい街づくりを目指しています。その具体的な活動と、TANをサポートする人々に焦点を絞って、ご紹介いたします。皆様もぜひ参加・協力をして、いっしょに楽しんで下さい。
第11回 晴海アイランド トリトンスクエアに「第一生命ホール」
第10回 中央区を守る消防団  [2001年12月収録]

 相次ぐ不幸な事件に遭遇しながらも不屈と復活の意志を力強くアピールするニューヨークの人々を支えているのは、“どんなことがあっても自分達の町は自分達で守りきる”という強い思いです。
 その姿に私達は心を打たれますが、日本においても同様の意識に支えられた民間レベルの防災組織が存在し、国や都が行う防災行政を力強く支え続けています。本来の仕事を持ちながらも災害発生時には率先して現場に駆けつけ安全確保を行う他、夜警等の地道な活動も欠かさず、地域の防災リーダーとして活躍する消防団もそのひとつです。
 今回は、日本橋消防団第七分団の定例会におじゃまして、集まったメンバーの方々に消防団活動に賭ける思いをお伺いしました。
第10回 中央区を守る消防団
第9回 中央区の地域コミュニティ・月島地域連合会
[2001年11月収録]

 月島地域は、佃、月島、勝どき、豊海、晴海の5つの地区からなり立っています。
 佃は江戸時代隅田川河口の中洲に開かれた漁師の村でした。やがて魚河岸ができ、小魚の加工品、佃煮の発祥の地としてよく知られるようになります。
 月島は明治中期、東京湾の埋め立て第一号造成地として生まれ、勝どき、豊海と埋立地は広がりました。この地域は石川島播磨を中心に、鉄工や鋳物の町工場が密集し、商店街や路地が形成され、河岸や工場で働く人たちの長屋が軒を連ね、東京の下町として発展してきました。
第9回 中央区の地域コミュニティ・月島地域連合会
第8回 中央区の地域コミュニティ・日本橋地域町会連合会
[2001年10月収録]

 中央区の地域コミュニティは、江戸期の仲間意識、近所つき合いに端を発し、大正時代の関東大震災、第二次世界大戦の混乱期を乗り越え、活動の中身も変遷を重ねてきました。
 しかしその根底にあるものは、どの時代にあっても共に助け合う、相互扶助の精神でした。なにかコトがあれば、みなが自然と集まって力を結集する。しかしその前提には、ある程度密接な人と人との交流がありました。
 企業の多い地域では、同じビルに勤めていても、会社が違えば知らない人同士と言う状況があります。非常時に混乱しないため、行政サイドでも、防災区民組織の結成を推進したり、事業所にも呼びかけを行っています。町会、企業、行政の三者一体の連携のとれた活動が必要不可欠なのです。
第7回 中央区の地域コミュニティ・京橋地域連合会
[2001年9月収録]

  阪神大震災の教訓や連日世間を賑わす様々な事件の発生により、近隣同士が互いに支え合う地域コミュニティの必要性が改めて見直されています。
 現在、中央区には173の町会・自治会があり、それぞれの特性を活かしながら、様々な活動を展開しています。さらに近隣の町会同士が町会連合をつくることで連携し、その上にそれぞれ京橋地域連合会、日本橋地域連合会、月島地域連合会といった地域連合会を作ることで、町会と町会をつなぐ「大きな輪」の役割を果たしています。
第7回 中央区の地域コミュニティ・京橋地域連合会
第6回 大江戸まつり盆おどり大会  [2001年8月収録]

 個性豊かな中央区の夏の風物詩として熱い注目を集めている「中央区大江戸まつり盆おどり大会」が、今年も8月24日(金)・25日(土)の2日間に渡って開催されます。
 第12回目にあたる今年の大会は、21世紀を迎えて最初の「大江戸まつり」になります。伝統と斬新の交錯。創意と手作りの心意気。中央区立浜町運動場から発する熱気は、新しい世紀を迎えた人々に江戸の情緒と新世紀に創意で挑む“粋”なあり方を伝えていくことでしょう。
 尚 当日の模様(映像)は8月29日アップ予定。乞う御期待!
第12回大江戸まつり盆おどり大会
第5回 ゆかたと中央区の粋な関係  [2001年7月収録]

 古くから日本の夏を涼しげに彩ってきた“ゆかた”。最近は、和装にあまりなじみのない若い人たちにも人気です。ゆかたの着心地の良さは、湿度の高い日本の夏にぴったり。また、新鮮で豊富な柄は、世代を越えて日本人のおしゃれ心をくすぐるようです。
 ゆかたの本場は東京。なかでも中央区日本橋かいわいは繊維問屋街として栄えたところで、独創的なゆかたで名を馳せた染色や呉服などの老舗が集まっています。
 人形町の老舗『三勝(さんかつ)』の清水敬三郎様に、お話をうかがいました。
第4回 中央区の魚河岸物語り〜築地編〜  [2001年6月収録]

 東京都中央区築地5丁目2番1号、東京都中央卸売市場築地市場。水産物の取扱い品目が約450種、青果物の取扱い品目が約350種といわれており、築地で扱われる品目の多さは膨大です。
 敷地面積23万836平米に約5万2000人(1日の入場人員は市場勤務者1万5427人、買い出し人などが3万6344人/平成10年3月27日調査)と約3万2000台の車両でごったがえしているのが築地の毎日です。
 魚市場としては世界最大規模を誇る築地ですが、築地の歴史は66年と意外に短いのです。どのようにしてこの大きな市場ができたのか、今回は築地魚河岸を取り上げてみました。
第4回 中央区の魚河岸物語り〜築地編〜 
第3回 中央区の魚河岸物語り〜日本橋編〜  [2001年5月収録]

 桜も散って一月も経ちますと、江戸時代中期の俳人・山口素堂の「目に青葉 山ほとゝぎす 初かつを」という俳句を思い出すのは私だけではないと思います。東京でホトトギスの鳴き声を聞くことは稀でしょうが、新緑の清々しさは目に染み入ります。そして初鰹の季節です。
  刺し身は関東では鮪、関西では鯛。中でも上等のトロが珍重され、寿司屋で「鮪の良いのを入れないと商売にならない」と板前さんが言っているのを聞いたことがありますが、鮪が一番となったのは実は戦後のこと、江戸から続く歴史の中ではつい最近のことです。かつては鯛、鯉、鰹が珍重されたと言います。
 また現在は魚河岸と言えば築地、しかし築地に魚河岸ができたの近年のことで、魚河岸の歴史は80年弱です。それ以前の330年、魚河岸といえば日本橋でした。
第2回 中央区の花街 その歴史と現在  [2001年4月収録]

 5月28日から31日まで、新橋演舞場にて「第77回東をどり」が開催されます。新橋演舞場は新橋芸妓の教養と技芸の向上を目的とし、大正14年に東をどりを柿落としとして開場しました。中央区銀座に住所がありながら新橋と名付けられたのは、新橋芸妓のための演舞場という意味合いがあったためです。
 大正15年度(大正14年刊)の花柳名鑑によると、今の中央区(当時の京橋区、日本橋区)に組合の事務所を置く芸妓屋は、新橋、柳橋、葭町、新富町、日本橋、霊岸島と五つもありました。このように芸妓の事務所が集中している区は他に類がなく、中央区は花柳界の中心でもありました。
 東をどりは、京都の都おどりと同規模の催しを東京でも開きたいとの思いで始められました。今回東京中央ネット特集は、東をどりにちなみ、中央区の芸者の歴史をとりあげます。
第2回 中央区の花街 その歴史と現在
第1回 華&華&華!! 火事と喧嘩町火消し  [2001年3月収録]

 3月は春の火災予防運動月間ですので、 中央区と火災について紐解きました。 江戸時代は火事が多かったことで知られていますが、特にこの時期に集中していたようです。
 明暦の大火などは、俗に振袖火事と呼ばれ、着物の 振袖のように、江戸市中を焼き尽くしたというから恐ろしいですね。「火事と喧嘩は江戸の華」の主役は、町火消し達です。粋な半纏に豆絞り、纏持ちは、庶民のヒーローでし た。
 江戸消防記念會会長日本橋消防団 副団長の「ろ組」組頭 鹿島靖幸さんにもインタビューをお願いしました。
第1回 華&華&華!! 火事と喧嘩町火消し
※内容は、掲載当時のものとなります  
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