“磯のアワビの恋心”
てえか、合コンも超あきたしぃ、やっぱカネ? カネありゃ顔いらない? カネでイイオトコ買う? みたいな、4,5人≠→フoUと<っほoぃ? 友だちのカレシとつき合ってるしぃ、てゆーか世の中とかмаシ〃ぅ±〃<Йёェ?
てゆーかぁ、まったくドツボな日本の若い衆ですが、近頃のマジウゼエ恋愛に比べると、ひと昔前の恋心なんてまことに純情なものでございました。
「おう、ふさぎこんで、どうしたんだよ!」
「いや、それがさ、磯のアワビだよ・・・」
磯のアワビというのは片思いの気持ちを相手に伝えられない状態を申しました。
アワビは大きな一枚の殻を岩に張りつけてジッとして動きません。その姿がふさぎこんでいるように見えるので、片思いの気持ちというふうにたとえられたんですね。
「そうか・・・ま、あきらめるんだな。どうせお前にはかなわぬコイの滝登りよ」
コイの滝登り、無理なことのたとえですね。
魚にたとえられた奥ゆかしき昔の恋。いじらしいじゃござんせんか。
“アワビの名産地”
甲府名物「アワビの煮貝」。こいつを食べなきゃ甲府にきた価値ないよ、というくらい有名です。でもよく考えてみれば、海の山梨県なのにアワビが名物なんて変な話ですよね。実に山梨県は日本一のアワビ消費県だそうです。
その理由として、一説に戦国時代、甲斐の武将武田信玄が駿河国に攻め入った際、そこで食したアワビの旨さにすっかり虜になってしまいました。どうかしてこれを甲斐国に持ち帰りたいと思うのですが、もちろん生では無理です。そこで塩漬けにして馬の背で運んだところ、これが予想に反して実に美味。ちょうど良い具合に塩がなじんで、磯の香りと相まって芳醇な味わいに化けたといいます。そこで信玄はこれを戦時保存食として合戦の際には兵士に携行させたといいます。
もうひとつの説があります。江戸時代、目先の利いた商人が海のない甲斐国は海産物に恵まれない。何かひとつ海のものを名物にしたい、と考え、おとなり駿河国のアワビに白羽の矢を立てました。ところが生アワビは運ぶのに難があるので、醤油樽に漬けて運んだところ、アワビは醤油によくなじみ、実に美味。これが「アワビの煮貝」となったということです。
まあ、どちらも似たような話ですが、いずれも海のない山梨県に無理にでも海産物を持ち込みたいという思いがこの名物を産んだということなんですね。
“アワビに片思いした皇帝”
アワビというのは大変に滋養がある食品で、これを食べれば精がついて命を長らえると言われ、不老不死の薬である、とまで信じられていました。だから熨斗アワビなんてお祝い事の贈答品の定番だったものです。
今より二千年以上も昔のこと、中国最初の皇帝、秦の始皇帝は来る日も来る日も東の空を眺めては、「今日も来ぬか」、「今日もまだか」とため息ばかりついていました。
秦国より東の大海を渡ること何百里かなたの倭国(日本のこと)では、誰もが長命である。どうも不死の妙薬を用いているらしい。その薬とは熨斗アワビをもとにしているという。そんな噂をききつけた皇帝は、なんとかこれを自国に運びたい。不老長寿をわが手にしたいと思い、武将の除福に命じて日本へ向かわせました。それからどれほどの年月が経ったでしょう。待てど暮らせど届かぬ吉報に、高齢を重ねた皇帝のその眼は焦がれるように東の空を見すえるばかりでした。
部下の除福はたしかに日本の地に立ちました。しかし土地に不案内なかれは各地をさまよった挙句、とうとう熨斗アワビを手にすることもできぬまま異国の土となったのです。それもそのはず、そのころの日本に熨斗アワビなどという代物は存在していなかったのでございますな。
今や死の床についた皇帝。それでもその思いはアワビと除福に向けられていました。
「除福はまだ着かぬか」
見かねた部下が申し上げます。
「皇帝陛下、お喜びください、た、ただ今到着いたいました・・・」
そうして皇帝の目の前に煮上げた熨斗アワビを差し出します。むろんそれは真っ赤な偽物。竹の子か何かを棒状に煮たものなのですが、そんなことをツユ知らぬ皇帝はそれを口に運ぶと、
「何とさわやかな味であろう・・・これでこの国も永代まで栄えるというもの・・・ガクッ!」
歴史に残る始皇帝が斃ったのは、それから数日後のことでした。
了ヮヒ〃!!
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