“初物”は縁起が良いの?
セイナンガレンとは魚河岸の符丁で数字の「七十五」をあらわします。この「七十五」という数字は、「人の噂も七十五日」とか、「珍しきものも七十五日」などもののたとえによく使われますが、なかでも「初物七十五日」といって“初物”を食べると七十五日長生きするという諺は有名です。とても縁起の良いことば。ところがこれがどこからきたのかというと、実はそれが死刑囚からだということはあまり知られていません。
江戸時代、大伝馬町の牢屋敷の死刑囚が小塚原や鈴が森に引っ立てられる際に、町奉行が最後の温情として、囚人が食べたいものがあれば何でも与えてやるという決まりがあったんです。あるとき囚人が所望したのは時期はずれのものでした。現在のように冷凍保存などない時代ですから世の中のどこを探しても見つかりません。といって最後の望みには違いないからむやみに断ることもできない。そこで“初物”が出回るのを待つこととなり、囚人はまんまと七十五日も延命できたというんですね。
“初物”は恐るべきもの
延命したといっても囚人の話ですから、本来は忌むべきはずなのに、それを縁起の良い長命のまじないへと変化させてしまったわけです。強引なこじつけですよね。でも、そんな言いわけをしてまで、何とか初物をおおっぴらに食べたいというのが江戸っ子たちの心情だったんです。なぜでしょう?
それは本来”初物”は食べてはいけないもの。だけど食べたいものだったからです。今でこそ“初物”といっても、「ちょいと食べてみるか!」という程度の手軽なものに成り下がってしまいましたが、はるかな昔には口に入れるのは禁忌(タブー)ともいえる恐るべきものでした。たとえば古代の社会においては漁師がその年にはじめて漁獲した魚は、まずは神にささげられるべきものです。恵みに対する感謝の気持ちをあらわし、豊漁を願うというものでした。それをひと足先に頂戴するなんてとんでもないわけです。
大消費地お江戸、その台所である魚河岸にはさまざまな“初物”が入荷して来ます。でも当時は“はしりもの”といって町人の慎むべき贅沢とされ、幕府は何度も禁止令を出します。そもそも魚河岸で扱う魚は御城へ献上したその余りを市中に売るというのが建前でしたから、お上はじめ武家のお歴々の口に入ってからしばらくたって庶民へという流れでなければなりません。ところが元禄時代以降、町人が財力をつけてくると、口も奢り、銭に糸目をつけないでものを食べるという風潮が生まれてまいります。また、封建社会のなかで武士に対する反骨という意味もあったのでしょう、神もお上もあるもんか、食いてえもんは食いてえや!
そんな意識から「初物七十五日」というおかしなまじないも生まれてきたんですね。
“初鰹”というイベント
“初物”といえば真っ先にうかぶのは”初鰹”でしょう。
高い物の親玉初鰹 五両してもかまわぬ
五両というと、米価換算でいえば今の五、六十万円ですから、ずいぶんと高いですね。五両は大げさでも、実際に二、三両もしたといいます。江戸っ子は何が何でもこれを食べたかった。それで、”初鰹”の季節はもう暖かくなるから、冬物の袷(あわせ)を売って買おうというので、
初鰹袷を殺す毒魚かな なんて狂歌もありますね。
かの豪商、紀伊国屋文左衛門があるとき“今年は初鰹を吉原で食べたいものだ”と思い立ち、吉原の大店(おおだな)を仕切る重兵衛という者に、何とか江戸に一本も入らないうちに食わせてくれ、と頼みます。それで重兵衛はすべての魚問屋に手金を打つと、鰹の荷をすべて押さえちゃった。そうしておいて、紀文が大勢をひき連れて吉原へやってくると、たった一本の鰹を料理して出したんです。大勢に対してたったの一本なのであっという間に食べてしまって、もっとないかと催促するが重兵衛は出しません。何故かというと、重兵衛は大きな箱のフタを取って、鰹はこんなにありますが、本当の初鰹は一本のみです。残りはあとで皆にやってしまいます、と言い放つ。これを聞いた紀文はやけに喜んじゃって褒美に五十両というお金を重兵衛にくれてやった、という、まあ、バカげたお話ですね。
“初鰹”のお話は枚挙にいとまがありません。それほど江戸っ子は熱狂的に迎えられたんですね。江戸も末期になるとだいぶ熱も冷めたようですけど、それでも”初鰹”といえば江戸っ子にとっては大切なイベント。決してはずすことのできないものでした。では、そのイベントの意味というのはいったい何でしょうか。まあ、単なるトレンドで大した理由もないのかもしれません。あるいは、当時の
人びとはさっぱりした味を好みましたから、戻りガツオの濃厚な味わいよりも初鰹の若くて淡白な味わいを美味いと感じたのかもしれませんね。
“初物”にこめた思い
私は思うのですが、これが初鯛とか初平目、あるい初コハダとかではなく”初鰹”だというところに何らかの意味はなかったでしょうか。武家の祝儀に供される鯛や平目などの高級魚はもともと庶民には縁のない魚。どうかすると一生食べることのない人もいますから、そうした魚のはしりを食べることなんて出来ません。一方、コハダはもっとも江戸っ子好みの魚でしたが、武士は「此城(コノシロ)」といって食べてはいけない魚。はしりで食べてもさほどに威張れません。そこへいくと鰹は武士も町人も食べるうえに “勝男”といわれて縁起が良い魚。これを武士をさしおいて食べるというところに大いに興奮したのではないでしょうか。そんな大金を出せば鯛だって平目だって上物が買えるけれど、それでも鰹でなければなりません。なんたって自分たちの手の届く最高の贅沢に対するご祝儀相場だからです。
“初物”にこだわった昔の人たち。それは単に贅沢だったというよりも、むしろ魚に対する思い入れや愛情が強かったからなのではないでしょうか。そして、“初物”のありがたみが失われてしまった現代は、そうした心もまた失われた。そんなふうに思えてなりません。
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