日本橋美人新聞 増刊参号(2008年)掲載
他人の気持を思いやることのできる聡明さは”心も身体も美しい“日本橋美人の魅力。現在「江戸しぐさ」が静かな話題になっているのも、相手を尊重し思いやる気持ちから自然にうまれる美しさを求める心の声があるからでしょう。豊かな教養に裏付けられたたおやかな感性をもつ女性は煌いています。日本橋美人ブランドの価値観の根底にある江戸の優美な感性について、江戸思草の第一人者である越川禮子氏に伺いました。
江戸の人々は、子どもたちの教育をとても大切に考えていました。単に知識を詰め込むだけでなく、人間として本来備わっている「思いやり」を基本として感性を育み、本当の意味での教養、すなわち江戸思草を身に付けさせることに力を注ぎました。 当時の親は成育段階に応じて、それ相応の育て方をするのが肝要だと考えていました。「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理(ことわり)で末決まる」ということわざがあります。数え年三歳ぐらいまでの子どもたちには、まず想像力や感受性などの「心」を豊かにするようにしました。親のしぐさ日々の行動を見せ、みずみずしい感性に訴え、見取らせ、見よう見まねで覚えさせていきました。 六歳のころには、身体を使った人として当たり前のしぐさを何度も何度も繰り返しまねをさせてしつけました。物心つくころには、おとなの中で場の雰囲気を感じ取り静かに我慢することを教え、寺子屋で話を聞く時は師匠の目を見つめることを覚えさせました。 「九つ言葉」では、どんな人に対しても失礼のない一人前の挨拶と世辞を教え「十二文」と言われる年頃には、両親の代わりに手紙や注文書がまがりなりにも書けるように訓練されたといいます。武士の子であれば元服の十五歳は、経済や科学などの森羅万象が暗記ではなく実感として理解できるようになる、子育てにおける最後の段階でした。 寺子屋には、商家の跡を継ぐ「男あるじ」や「女あるじ」を養成する、いわばエリート校ともいえる「江戸寺子屋」がありました。読み書き算盤(そろばん)に加えて「見る」「聞く」「話す」「考える」という実践的な教育が行われました。考え方を表現する日常の立ち居振る舞いや、人を見抜く洞察力などの「思草」も身に付けさせました。 昭和二十年代にアメリカが日本の歴史や社会の研究をした折に、寺子屋の教育についても徹底的に調査が行われたようです。現代でも企業でよく使われるブレインストーミングや社員研修などで用いられるロールプレイングの手法が、江戸の寺子屋で使われていたことが分かりました。例えば子どもに「商家の主人」という役割を演じさせ、お客様の苦情を処理する言葉を述べさせたり、弁解のための書状を書かせたりしました。寺子屋で実社会の役割を演じ、その経験から人間としての素養を育んだ子どもたちは、やがて「江戸思草」を身に付けた立派な商人に成長していったのです。 資料提供:公文教育研究会所蔵 風流てらこ吉書はじめけいこの図」 (歌川豊国)より 私たちの日常から消えつつある「江戸思草」は、単なる礼儀作法やマナーではないことがお分かりいただけたと思います。日本橋を中心とする大都市・江戸で暮らすために、商人たちが作り上げ洗練していった哲学と行動、それが江戸思草なのです。 日本橋の街を歩いていると”心も身体も美しい“と感じられ、真に「日本橋美人」と呼ぶにふさわしい凛とした緊張感がある女性に出会います。そのような素敵な女性は、人間関係の中で相手を思いやる心を育み、優れた伝統や文化に触れることで心を豊かにし、自らの五感を研ぎ澄ましています。多くの女性たちが江戸から学ぶ姿勢と日々の努力を惜しまず、江戸しぐさを身に付けた魅力ある日本橋美人になっていただけるように願っています。 |
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