日本橋美人新聞 増刊弐号(2007年)掲載
日本橋美人ブランドの心意気を支えるのが伝統的な「粋(いき)-COOL」の美意識です。背筋をすっと伸ばした粋な女性は内面から輝き、凛とした気品が漂います。江戸っ子の美学を継承する人形師 辻村壽三郎氏に、粋と“心も身体も美しい”日本橋美人への思いを語っていただきました。
私が人形を製作する時は、だいたい江戸の「粋」ということを意識しています。 若い頃は西洋人形ばかり作っていましたが、昭和四八年からNHKの人形劇「新八犬伝」の人形を手がけたおり「あ、自分は日本人だ」と意識しました。「水を得た魚」のように自分が蘇ることを感じ、それをきっかけに和人形を作り続け現在に至っています。 京都の人形には、着飾った舞妓の「はんなり」といった雅(みやび)な風情があります。お雛さま一つとっても、京都の「雅」と江戸の「粋」とでは、こんなに異なるのかと思うほどそれぞれの違った良さが表れています。私の人形は、源氏物語を素材にしてもやはり「粋」になってしまいます。 好きな映画監督に『道』で有名なフェデリコ・フェリーニがいます。私が四十代の頃イタリアでおこなった芝居の公演にフェリーニが来てくれ、「獰猛で繊細なことが表現だ」と語った言葉は、当時の私には衝撃的でした。 人形は、内面を自分自身で語ることはできませんから、ボキャブラリー(言葉)を着せてあげることで初めて見る人にわかるのです。強い個性を表面の布が繊細に表現するのです。 泉鏡花が描いた人物であれば、彼の小説のボキャブラリーを着せてあげます。帯に舞扇や笛を挿すことで、舞いや笛の名手だったというその人形にまつわる物語を伝えます。あるいは「歌麿」「広重」などの浮世絵をたくさん見て、いろいろ咀嚼しながら表現につなげます。そうすることにより人形は、その人物になっていくのです。 不思議なもので、顔に合わない着物を着せると人形が嫌だと怒るんです。ですから人形と会話をしながら、気に入るように一枚一枚丁寧に重ねていきます。 人形の美しさの条件は「生き生きしていること」です。元気であるということが存在につながります。そのためには「色気」が非常に大事です。やつれていくと色気なんて感じられないと思いませんか。媚を売るのではなく、生き生きとした強い存在感を示す人形の持つ色気からは「粋」というオーラが見えてきます。 江戸時代の日本橋界隈は、お城の下にある下町という本来の意味での「お城下町(おしろしたまち)」でした。物資輸送の水路を整備するなど江戸の基盤をつくった諸国大名は、町の格式の高さや品格を重んじました。日本橋の商人たちも、当然品格のある生きざまを持っていました。 商家の奥さまたちには「潔(いさぎよ)さ」「思い切りの良さ」の美意識があったと思います。毅然とした自負心を持っている、それが粋の一番大事な部分です。 その根底にある粋の美学というのは「潔さ」ではないでしょうか。それはあまり物事に執着しない、未練をとり去っていく思い切りのよい生きざまともいえます。いくら容姿が素敵でも、潔さのない女性は私は醜いと感じます。 こういう粋の美意識が、本当の日本橋美人をつくっていくのでしょう。 |
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