日本橋美人新聞 増刊参号(2008年)掲載
内側から自然と溢れてくる知性。そこから醸される品格が、”心も身体も美しい“日本橋美人を生みます。「日本橋美人ブランド」もまた、江戸より受け継いできた叡智に学ぶことから誕生しました。日本橋に受け継がれてきた伝統的な美学について、由井常彦三井文庫・文庫長に解説していただきました。
茶室展示室 三井記念美術館のなかには、茶室「如庵」内部を再現した展示室があります。 茶道文化の歴史を語るうえで最も貴重な遺産のひとつである如庵は、元和四(一六一八)年に織田信長の実弟で、名高い茶匠・織田有楽斎によって京都東山建仁寺に建てられました。点前座側の「有楽窓」や腰壁の暦張りなどの趣向に富んだ茶室は、愛知県犬山市に移築され現存しています。 現在まで受け継がれてきた背景には、三井家の知られざる尽力がありました。明治から昭和にかけて三井家当主であった三井高棟(たかみね)が、如庵を入手して東京麻布今井町にあった三井邸内に移築したのは、明治四一(一九〇八)年のことです。昭和一一(一九三六)年に如庵が国宝に指定されたのち、戦争による被害を免れるために高棟は、神奈川県大磯にある別荘に移転させました。戦争中の空襲で三井邸は全焼しましたが、国宝・如庵が救われたことは、高棟の先見の明にほかなりません。 如庵をはじめ、三井高棟が数多くの文化財の保護に大きな貢献をしたことは、一般には余り知られていません。この度、その事績を偲び三井記念美術館では、茶室研究家 中村利則氏の監修により「如庵」のコピーをしつらえております。 重要文化財 大名物 唐物肩衝茶入 (北野肩衝) 三井家に数多く伝承されている茶道具の中でも、稀代の名品とされるのが重要文化財「大名物 唐物肩衝(からものかたつき)茶入(北野肩衝)」です。もとは足利義満、義政など足利将軍家の所蔵品を伝承する「東山御物」の一つに数えられていました。その後天正十五(一五八七)年に、史上最も名高い「北野大茶会」が開かれた折に出品され、豊臣秀吉の目に留まったという話も伝えられています。 三井家が北野肩衝を手に入れたのは江戸時代中期になってからのことですが、現在では三井記念美術館の名宝として所蔵されています。 唐物竹組大茶籠 写真提供:財団法人三井文庫、三井記念美術館 持ち運びができる小型の箱や籠などに、喫茶用の茶道具一式を組み込んだものを茶箱、茶籠と呼びます。茶人が自らの好みで選び仕立てた茶箱、茶籠は、茶の湯をたしなみつくした人が行き着く趣味世界ともいわれ、江戸末期から近代において三井家では、とくに好んでおります。 三井記念美術館では、三井家から寄贈された茶箱と茶籠を約三〇点所蔵しています。いずれも三井家の当主や夫人たちが自らの趣味にあった箱や籠をあつらえ、それに茶碗や茶器、茶巾筒、茶杓、菓子器など好みに合った道具を探し、こだわりの袋や裂(きれ)で包んで収めた、まさに「数寄の玉手箱」と呼ぶにふさわしい茶道具です。 北三井家八代三井高福(たかよし)愛用の大きな茶籠には、たたまれた更紗の下に服紗釜敷などの裂や紙類が入り、その下に茶道具、香道具が四十余点ぎっしりと詰まっています。小型の道具でこれだけ質の高いものを集め得るのは、財力と然るべき蒐集のルートがなければ難しいことであり、三井家ならではの逸品と言えます。 三井記念美術館でこれらの名品の数々を鑑賞して、豊かな心の世界を味わえる日本橋美人になっていただきたいと思います。 |
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