日本橋美人新聞 増刊弐号(2007年)掲載
内側から自然と溢れてくる知性。そこから醸される品格が、”心も身体も美しい“日本橋美人を生みます。「日本橋美人ブランド」もまた、江戸より受け継いできた叡智に学ぶことから誕生しました。日本橋に受け継がれてきた伝統的な美学について、由井常彦三井文庫・文庫長に解説していただきました。
能楽は室町時代に成立し、江戸時代には為政者の手で厚く保護されてきましたが、明治維新で大きな危機を迎えます。 ご承知のように文明開化の一時期に、伝統文化が否定された時代がありました。この時、能の流派の多くが存続の危機にさらされてしまいます。保護者であった大名家や武家の没落も能楽にとっては大きな痛手でした。 明治十年代になると、政府も海外の先進諸国から伝統文化を保護することの大切さを学び、保存に努めるようになりました。それまでの極めて危機的な状況の中で、能楽を救ったのは三井家でした。その功績は、高い評価に値するものと言えるでしょう。 三井家ほど長い期間に亙って、能楽の保存と発展に尽くした一族はありません。北家、南家、室町家、伊皿子家、小石川家の人々は、江戸時代から観世流の能を嗜んでいました。能見物を楽しむだけでなく、幼少の頃より仕舞いを学び謡曲を稽古して深い教養を身につけてきました。 重要文化財 伝孫次郎作 重要美術品 小面 伝龍右衛門作 紺繻子地雪輪松竹菊蒲公英模様縫箔 このような経緯により、三井家には能面や能装束が数多く継承されています。中でも金剛流が一時的に廃絶した折、数多くの能面が寄贈され、現在の三井記念美術館の一大コレクションになっています。 特に、伝孫次郎作の女面は重要文化財に指定されています(写真)。気品と妖艶さが入り混じる孫次郎の面は、若くして世を去った妻の面影を写したと伝えられ、面裏には「本 金剛 孫次郎作 ヲモカゲ」という銘があります。伝龍右衛門の小面(重要美術品・写真)は、豊臣秀吉が「雪」「月」「花」と名付けて愛玩した三面のうちの一つです。能楽の長い歴史のなかでも、幽玄の美の極致と言えるほどの作品で、これらを超える面打師は現れていません。 もともと呉服店であった三井家には、多くの能装束が継承されています。なかでも秀逸なのが写真に掲げた「紺繻子地雪輪松竹菊蒲公英模様縫箔」です。金箔で描かれた竹の模様、色とりどりの刺繍で表された雪輪と笹、菊の文様。眼のさめるほどの美しさと共に、眼の眩むような豪華さが溢れています。世界に誇るべき衣装の一大芸術と呼べるでしょう。 三井家には、能を稽古したり鑑賞するための能舞台もありました。明治時代の終わりごろ麻布区今井町四二番地(当時)に建築された、三井総領である三井八郎右衛門高棟家の能舞台の写真が残されています。舞台の正面と脇正面側は、白砂利が敷きつめられた白州で、いきとどいた観客席が備えられていました。大正十一(一九二二)年四月二十一日には、訪日中のイギリス皇太子(後のエドワード八世)を迎えて能による饗応が行われるなど、外国からの賓客も招待されています。大正天皇の赤坂離宮が完成する頃まで、国賓を招待する迎賓館としても使われた邸宅でしたが、残念なことに第二次大戦で焼失してしまいました。 今井町邸 能舞台 写真提供:財団法人三井文庫、三井記念美術館 三井家に継承された能面や能装束などの文化財によって、私たちは「能楽」の魅力と芸術的な価値や歴史について知ることができます。 三井記念美術館では、今後もこれら伝世の名宝を公開する展示会を企画してまいります。 能楽の創始者である世阿弥は「美しく柔和な優雅さ」を幽玄と名づけました。 「日本橋美人」の皆さんには、ぜひ三井記念美術館で、表面的な美しさを超越し美の根源に迫る「幽玄の美」を味わっていただきたいと思います。 |
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