鉄砲洲小学校の児童が太平洋戦争とどのように関わったかを描いたドキュメンタリー映画が4年の歳月を経て完成し、その上映会が10日の土曜日に中央小学校の講堂で開催された。卒業生ら300人に及ぶ参加者で盛況だった。
矢田区長も列席して、疎開していた千葉から「燃える東京」を見た記憶を語り、映画の意義も説いた。鉄砲洲小同総会の笹井穏照会長は「私たちがこうして在るのは優秀な先輩がいたからです」と語るとともに来年の鉄砲洲神社の本祭りへの協力をあおいだ。
映画の製作委員会の代表をつとめた国保徳丸氏とスタッフも紹介された。国保氏は75歳。「私たちの世代が語らないと貴重な体験は風化してしまう」との思いで製作したと言う。
映画は戦争当時、小学生だった多くの人たちの聞き語りで展開する。多くの写真や資料が紹介され映画に緊迫感を与える。これは小学校の学区域が明石町の聖路加国際病院に接していて戦災をのがれることができたから。戦争末期には学校の門扉も校名板も押収された写真も紹介される一方、疎開地の地元の人たちの「東京っ子」への羨望の声も紹介されている。
最後に長崎良雄氏が母校がなくなるも「校舎が残った」を強調して感銘を与えた。 |