銀座の柳を復活させ、8丁目の金春通りを拠点に多くの文化を根づかせた勝又康雄氏が亡くなって2年、7月22日に3回忌の法要が営まれた。生前、世話になった人たちに「東哉」製作の夫婦茶碗が贈られた。夫を支えつづけた貞子夫人は次のように記している。
「先日『千の風になって』という歌の歌詞を読みました時に、私には主人のことの様に思われました。きっと今も柳の枝を持って大空を駆け回っていることでしょう。この度の法要にあたりまして東哉様にお願いし。柳の枝を湯飲み茶碗に絵付けしたものを作って頂き、皆様にお贈りさせて頂きました。主人は銀座の柳をこよなく愛しておりましたので、お茶を召し上がられる折、一寸思い出して頂ければ本望でございます」
さらにこの夫婦茶碗と共に国交省の東京国道事務所の作成した「銀の柳」というパンフレットも同封されていた。銀座の柳が贈られた全国の地に生きづく柳を紹介したもので、その末尾に「銀座の柳を復活させた男たちに捧ぐ」と題して、「お神酒徳利」と揶揄された勝又氏と椎葉氏を写真で紹介し、銀座の柳のルーツ(根)は「今なお、彼らの情熱を受け継ぐ者たちの手で全国へ脈々と広がり続けている。あたかも、生命力にみなぎる柳のように」と、その業績を慨嘆している。。 |