昭和15年に予定されていた日本初の「万国博覧会」は晴海がメイン会場だった。戦争のために中止になった、その由来を記録した「幻の万国博覧会」が、タイムドーム明石で上映されている。
万国博覧会はヨーロッパ産業革命のシンボルとして開催され、パリ万国博、ウィーン万国博を見た明治の志士たちは驚き、これを機に日本は殖産興業を目的にした博覧会を明治十年、上野で開催する。その吸収力の強さは欧州の人たちをびっくりさせるが、この成功が「日本で万博を」に移行していったという。
隅田川の河口にたまる土砂によって埋立てられた最初が月島で、明治以降、築港計画をめぐる論議も激しくなる。この点では横浜が先行していたが、万国博構想にのる格好で埋立て整備も進む。そして新たな交通手段として勝どき橋の工事も始められる。
当時の盛りあがりは、万国行進曲、映画ニュースでその様子を知ることができる。また晴海を中心にした会場の絵も発表され、富士山をあしらった見事な出来ばえのポスターも完成。往年の万博にかけた期待が次々と紹介される。それは入場券の売れ行きにも示される。
この抽選券付回数入場券は昭和45年の大阪万博、平成17年の愛知万博でも使用可能となった。
広がる戦火は昭和13年、無期延期を決定することになり、こうして万博は幻と化した。幻といえば築港計画の進む中で東京市庁舎を晴海にという計画についても言及。その予想図も紹介されている。
万博は幻となったが、日本の技術の粋を集めた「勝どき橋」は昭和15年に開通し、歴史の証となった。 |