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■ 11月27日発行  このページの先頭へ
大正の永代橋、貴重な写真を発見
明治大正の橋が並ぶ
渡り初めの厳粛な風景
 隅田川の永代橋は名橋として知られるが、現在のアーチ型鉄橋は大正15年に完成したもの。この当時の工事中の風景や渡り初めの光景を写した貴重な写真が見つかり、注目されている。
 この写真は株式会社ちくま(当時のちくま味噌)が所有していた。写真上の右側にその会社が写っている。工事中の右側の橋は明治30年に完成した橋。写真は新川1丁目の町会長で区議の押田まり子さんに届けられた。
 渡り初めの写真には威厳に満ちた面々が正装で列をなして写し出されており、往時をしのばせる。また工事中の写真には左下に「スサキ千石」の看板が見えるが、これは永代橋のたもとにある千石鮨であり地元の人たちを感動させている。
 永代橋は江戸、明治、現在と架かる場所が変えられてきた。明治27年に起工した初めての鉄橋は江戸時代の橋よりも約200メートル上流に架けられた。そして現在の橋は写真でもわかるようにそのまた上流に位置している。明治の橋は鉄橋といっても床板は木製のために関東大震災で大きな被害をこうむった。
 震災復興事業で完成した昭和初期には、永代橋の下流には橋は一つもなかった。永井荷風は「日和下駄」で、ここからの眺めを「永代橋河日の眺望を第一とする」と折り紙をつけている。
 震災復興事業として実現した大川の橋に清洲橋もあるが実は永代橋と対をなしてデザインされた。中央区が発刊した『中央区の橋』で次のように著している。「筋肉隆々とした男性美を思わせる永代橋に対して、チェーンで懸垂曲線を描く清洲橋は女性的な橋である。帝都の入り口は、このような対比的なデザインの橋で華麗に演出された」
 江戸時代、文化4年(1807)の深川八幡祭礼のときどっと出た群衆で永代橋は落橋した。これを題材に小説や落語にも扱われた。橋の由来碑は江東区側に建つ。

 
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