小舟町の八雲神社は、江戸時代に隆盛を誇った魚河岸のかつおぶし(鰹節)業者に支えられ、その祭りは天下祭りに比肩して、広く知られるところとなった。神社は神田明神に鎮座するが、境内にある文化8年(1811)に奉納された「天水桶」が4月1日に千代田区教育委員会より「有形民俗文化財」に指定された。小舟町八雲神社奉賛会は9月30日、会長の平野煕幸氏をはじめ役員により、神前にて清水禰宜の司祭で厳かに報告祭を執り行った。引き続き明神会館で賑やかに直会が開かれた。千代田区が作成した説明板には天水桶のいわれを次のように記している。
この天水桶は、地上からの高さが1.4メートルほどになる一対のものです。
奉納したのは、江戸の魚問屋仲間に属する商人、遠州屋新兵衛他10名で文化8年(1811)6月に奉納しています。魚問屋仲間とは、塩干肴や乾物などの流通を担った商人のことで、日本橋にあった魚市場の界隈に軒を並べていました。小舟町八雲神社は、最初、日本橋にあった伝馬町の小伝馬が宮元になっていましたが、のち魚問屋仲間が祭礼費用を賄うなど神社の活動に関与していきました。その後は、彼らが集住してきた小舟町の人々により崇敬され、今日に至っています。
鋳造したのは、江戸深川上大島町(江東区大島)の鋳物師太田近江大保藤原正次(釜屋六右衛門、通称、釜六)です。釜屋六右衛門家は、11代続いた御用鋳物師の家系で初代六右衛門は近江国栗太郡辻村(ジ賀県栗東市辻)から寛永17年(1640)に出府しています。
また、釜屋六右衛門は、神田神社において、小舟町八雲神社の右隣の大伝馬町八雲神社の天水桶(平成16年4月1日付で文化財指定)も作製しています。
なお、鳥居を入って左側の天水桶は、安政4年(1857)に再建されたもので、右側の銘文をもとに鋳造したものの、文字の輪郭が丸みを帯びるなど違いが生じています。この天水桶は、江戸時代以来の魚問屋仲間、そして小舟町の人々の神社に対する信仰を私たちに教えてくれます。
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