中央区が長年の懸案としてきた「人口10万人達成」が5日、ついに実現した。今年1月1日、登録人口が99,078人と9万人をこえたことから矢田区長は賀詞交歓会で「人口10万に手が届く」と謳歌した。3月末にも達成と期待されたものの、年度末の流出も多く一進一退の状況が続いた。そして4月に入り、1日に99,937人、3日に99,887人、4日に99,983人とあと6人と迫り、ついに5日の登録人口は10万人を57人上回った。中央区の人口は区発足時は116,940人だったのがベビーブームと重なり昭和28年に17万人に達したのがピーク。昭和50年に100,876人の人口が翌51年には10万を割り98,706人に。以来、年々減っていった。底地買い横行後に登場した矢田区長が区政の柱に人口回復を据えたことで人口回復へ真剣に取り組み、平成10年に297人の増に転化した。以来、9年がかりで念願の10万達成となった。
31年ぶりの10万人の回復に
記念すべき10万人目の区民は4日に住民登録をした佃2丁目の柴田さん一家。5日午後1時から区長応接室で祝賀セレモニーが開催され、柴田さんの家族に矢田区長から、区民証と「お江戸日本橋」をデザインした楯が記念品として贈呈された。
区民証は区長のサインで次のように記されている−貴方は、中央区の人口10万人達成の記念すべき節目に、中央区民となられました。区民を代表し、これを祝すとともに記念品を添えて歓迎の証とします。末永く中央区を愛し、住み続けられることを希望します。
柴田さん夫妻は5年生の男子と新1年生の女子の4人ぐらしで、今までは西東京市に住んでいた。佃に移り住んでの感想は「公園と川に囲まれた美しい町で最高です」と話していた。住いはリバーシティ21のマンションで、勤務先は目の前のビル。会社まで5分とかからず、まさに「職住近接」の典型だ。
今回の「人口10万達成」は矢田氏が民間出身の区長として「区政の柱に人口回復」を公約に掲げ当選。当時は役所の幹部職員の多くが「業務集積は時の流れ」として実に冷やかだった。その時の流れが都心回帰に変わり10年たたずに10万達成。同時に区政の新しい課題も増大した。
人口10万を達成して
矢田区長のコメント
「人集まらずして、繁栄なし」と申しますが、まちが隆盛するか衰退するかは、人が集うか否かにかかっています。こうした意味でもこのたびの人口10万達成は、活気とにぎわいのある安心・安全なまちを目指す本区にとって、またとりわけ日本の総人口が昨年から減少に転ずるなかでもあり大変意義深いことです。戦後の高度成長からバブル経済へと続く時代のなかで、名橋「日本橋」上空の高速道路に象徴されるように、区内のまちのあり方にともすれば経済性・効率性が優先され、これに伴って人口が減少していく状況が続いていました。
こうしたなかで昭和62年の中央区長就任に際し、「定住人口回復」を政策の最重要課題と位置づけ、昭和63年1月1日に「定住人口回復対策本部」を設置するとともに基本構想に掲げた人口10万の目標実現に向けて、全庁あげて取り組んでまいりました。これは、都心のいきすぎた業務優先の開発を打破し、職住近接やゆとりある生活の魅力ある都心居住を実現しようとするものであります。「都心こそ人が住むべきである」と、住環境の整備を中心とした人口の維持・回復に向けた総合的な施策を展開してきたところであります。このたびの目標達成はこうした努力が実り、大きく花開いたものといえます。
今後はこの人口10万を礎に区政の一層の質の向上に努めまちのすみずみから人の息吹が感じられ、安心していつまでも住み続けられるまちを目指して「ひとが主役」のまちづくりと「快適な都心居住」のさらなる推進に全力をあげて取り組んでまいります。
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