早稲田大学が、「コレド日本橋」の中心を通る道路入口に「漱石名作の舞台の碑」を建立し、6月27日に関係者多数が集まり除幕式が開催された。漱石の研究に造詣の深い同大学の武田勝彦名誉教授が、漱石の作品には日本橋の地が数多く登場しているので「この地に碑を」と働きかけ実ったもの。
除幕式の冒頭で、碑の筆をとった奥島孝康前総長が挨拶し「夏目漱石は近代日本の文章を確立させた功労者だと思います。日本の街道の起点であり、商業の発祥の地に近代文学の先駆者の碑はまことにふさわしいものと自負しています」と、碑を建立する意義を説いた。
除幕は矢田区長、三井不動産の池谷常務執行役員、奥島前総長、武田勝彦名誉教授によって行なわれ、碑が現れると参列者から拍手がわいた。
武田名誉教授は「漱石は体で文書をかいた人。虞美人草には三越の前身・越後屋の客は羽織に八丈がすりを着ていると書いて、そのグレードの高さを表現している。碑の立つこの通りには木原店という寄席があって、三四郎、こころに登場している」と、説明。
早稲田大学は日本橋中洲に漱石の「吾輩ハ猫デアル」が上演された「真砂座」の碑を昨年に1月に建立している。
木原店が登場
三四郎・こころ
<三四郎>その日の夕方、与次郎は三四郎を拉して、4丁目から電車に乗って、新橋へ行って、新橋からまた引き返して、日本橋へ来て、そこで下りて、
「どうだ」と聞いた。
次に大通りから細い横町へ曲って、平の家という看板のある料理屋へ上がって、晩飯を食って酒を呑んだ。そこの下女はみんな京都弁を使う。はなはだ纏綿している。表へ出た与次郎は赤い顔をして、また
「どうだ」と聞いた。
次に本場の寄席へ連れて行ってやると言って、また細い横町へはいって、木原店という寄席へ上った。ここで小さんという落語家を聞いた。10時過通りへ出た与次郎はまた「どうだ」と聞いた。
三四郎は物足りないとは答えなかった。しかしまんざら物足りない心持もしなかった。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。
<こころ>3人は日本橋へ行って買いたいものを買いました。買うあいだにもいろいろ気が変るので、思ったより暇がかかりました。…
こんな事で時間が掛って帰りは夕飯の時刻になりました。奥さんは私に対するお礼に何か御馳走すると言って、木原店という寄席のある狭い横丁へ私を連れ込みました。横丁も狭いが、飯を食わせる家も狭いものでした。この辺の地理をいっこう心得ない私は、奥さんの知識に驚いたくらいです。
(木原店は今の日本橋コレド(白木屋)の裏側の通りにあった。通りを日本橋通1丁目東新道と呼んでいた)
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