日本橋3丁目と八重洲1丁目にまたがって東西を走る通りに、由緒ある「於満稲荷」にちなんで「養珠院通り」の粋な名称が誕生して話題を集めている。
日本橋3丁目西町会(吉野正二郎会長=旧日本橋通3丁目)と、八重洲1丁目東町会(成川孝行会長=旧呉服橋3丁目)の両町会の八重洲通りから「日本橋」へ向って2丁目(日本橋3―1―8)を東西に延び、日本橋・八重洲仲通りを通過して外堀通りまでの銘店が揃った通り。
この通りの左側で酒亭「いづみや」を営業する山崎勇さんの敷地に祀られている「於満稲荷」の歴史は古く寛文(1661〜1672)にはすでに同地には存在していたとされる。ちなみに寛文は4代将軍家綱の時代で、この於満(お万)とは徳川家康の側室でのちに「養珠院」と称した。山崎さんは先代の勇次さんとともにお稲荷さんを大事にお守りしてきた。同稲荷の古事来歴、町の変遷などについては山崎さんが調査、野田哲平さん(文責)とで区に古地図を交えて文献を紹介している。区は名入りの標識をとりつける予定。
「養珠院通り」には、中條企画(中條好司さん)、日本料理「ゆかり」(野永喜一郎さん)、酒亭「いづみや」(山崎勇さん)、中国料理・八重洲大飯店(野田哲平さん)、さらに、割烹「嶋村」(加藤一男さん)、割烹・や満登(成川孝行さん)ほか、伝統の有名店が軒を並べ、地域の活性化に一層の期待が込められている。
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