自然の教材に活用
さし木から観察
銀座の2世柳は地元の銀座はもとより全国各地に植えられ大切に育まれている。この銀座の2世3世柳は銀座8丁目の椎葉一二さん所有のビル屋上や別荘で育てられていた。しかしその椎葉さんが故人となり、生前のように柳の面倒をみることがおぼつかなくなったため、共に銀座の柳の再生につとめてきた同じ8丁目の住民、勝又康雄さんが区と相談を重ねてきた。
その結果、区が柏学園の梅の木が植えてある一角を柳の苗圃にすることを決断。梅の木が老木と化しているため、これを伐採して跡地に柳をさし木して育てる。幼木は5年から6年で成長するので、これをゆかりの地に移植。さらに梅の木の前側は畑になっていて、中央区の子どもたちが芋を植え、秋には芋掘りが恒例行事になっている。このときに柳の成育ぶりも観察し、同時に銀座の柳の歴史を学ぶなどできるとあって、教育委員会も新しい自然の教材に期待を寄せている。
20年目の快挙
銀座の柳は歌謡曲に唱われてヒットし、柳は銀座の代名詞とまで言われた。しかし、銀座通りが地下を共同溝にするなどして大規模に改修されたとき並木を形づくっていた柳はその姿を消した。そして新たに設けられた花壇は、底地が浅いために低木に変えられた。
昭和59年、新聞で銀座の柳が日野苗圃に生き残っていることを知った椎葉さんと勝又さんは、さっそく現地におもむき柳と対面した。12月19日、管理する都の職員のすすめもあって柳の枝150本を椎葉さんの川崎にある山荘に植えた。このうち86本が根づいて、その後、2世柳は椎葉さんのビルの屋上で育てられた。
銀座の柳を育てている姿がマスコミに報じられるや、各界各層の注目を集めるようになり、翌年には矢田区長の決断で区長室の庭にも植えられることになり、銀座にとどまらず全国各地から問い合わせが殺到した。
銀座の柳を送りだした長野県穂高市、中央区の友好都市・東根市など、ゆかりの地に次々と2世柳が植えられていった。
惜しまれて他界した椎葉さんも、区が苗圃を確保したことに安堵していると思いますよ関係者は一様にこう話している。いわば20年目にしての快挙といえる。
20年にわたって銀座の柳を育て銀座の文化発掘に尽力してきた勝又さんは、「柳とせせらぎが楽しげに囁き合う日がくることを私は願っています」と、自著、銀座の柳物語の末尾にこう記している。
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