明治12年、日本橋通油町(大伝馬町)に生れた長谷川時雨(しぐれ)は、「明治に一葉あり、昭和に時雨あり」と言われるほど一世を風靡した作家として知られる。その生い立ちや作品を写真、書籍(時雨全集・美人伝など)、ビデオなどで紹介するコーナーが区の女性センター(ブーケ21、湊1-1-1)に設けられた。
時雨研究家として知られる童話作家の森下真理さんは区内に居住しており、元区議の富永克子さんの紹介で、所蔵していた写真、書籍を区に寄贈したことにより今回のコーナーが実現した。
22歳の時、小説「うずみ火」で文筆の世界に入る。「旧聞日本橋」「美人伝」の作者として名を知られ、「女人芸術」を主宰して女流作家の育成にも尽した。佃島に住んでいたときには歌舞伎の脚本書きに熱中し、日本初の女性劇作家となった。林扶美子や円地文子ら文豪を世に送り出したことでも知られる。父親は維新後に新しくできた官許言人(のちの弁護士)の最初の12人中の1人。ひと回り年上の妻として作家三上於莵吉を支えたことは有名。
昭和21年61歳で没している。
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