明石町をかつて居留地とよんだ明治初期、日本の洋式教育が次々とこの地に発祥して、文明開化の礎を築いた。多くの学校は今も引き継がれ、その伝統を引き継いでいる。そして、近年、その発祥の地に次々と記念碑が建立されている。
都立築地産院は惜しまれつつ、その歴史を閉じたが、実はこの地は「女子聖学院」の発祥地であり、隣接して今の青山学院(海岸女学院)、明治学院(東京一致神学院)が在った。
明石町の歴史に詳しい清水正雄さんの仲立ちで、築地産院跡地に建てられた国際パルプ商事の理解が得られ入口の右脇に発祥の記念碑が10月23日に建立された。
明治38年、ディサイブルス派の女子教育を目的に開校したと記された記念碑は、三角錐の可憐さを誇っていていかにも発祥の精神を伝え、心ひかれる。
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