銀座で商う人も訪れる人もともに共有できる銀座将来像を描こうと、「銀座街づくり会議」が発足した。専門家や銀座ファンの協力を得ながら「21世紀のグランドデザイン」を描き、街づくりの方向性を定めていこうというもの。その発足シンポジウムが24日、紙パルプ会館で開催された。会場は満席の盛況で銀座の将来への関心の高さを示していた。建築家の槇文彦氏が道路と建物について歴史的に分析し、各国の実例を紹介。パネルディスカッションは、「銀座の街並みをどうつくるか」をテーマに、法政大学の陣内秀信教授がコーディネーターをつとめ、建築家の團紀彦氏、作家で地域雑誌「谷根千」を発刊している森まゆみさん、銀座通連合会の三枝進理事がパネラーとして、それぞれ意見を述べた。なお冒頭に銀座街づくり会議代表の福原義春氏があいさつし、これからの銀座がどうあるべきかについて「自らの力で再構築していくことへの皆さんのご支援をお願いしたい」と協力を求めた。会場には銀座応援クラブ会長で、横浜のまちづくりに尽力している田村明氏が顔を見せていて、「色んなものがリッチに密集している」銀座の魅力を語っていた。パネラーのそれぞれの意見をまとめてみた。
人間味が大切 三枝 進
銀座は南北1100メートル、東西約800メートルで26万坪という小さな街で、どこへでも歩いて行けるヒューマンスケールの街だ。さらに中層の建物が道路ごとに並んで、独自の雰囲気を作っている。
ところが空を隠すような高層のビルはヒューマンスケールを損うことになる。六本木や汐留の例が示しているように超高層ビルは一定の街区において自己完結しており、デベロッパーの経済合理性から早く収益を回収するソロバンが先行し、周りのことや文化を考えない特性がある。
銀座も5年前に容積緩和をして銀座ルール(地区計画)の網をかぶせた。その後、02年に都市再生地区に指定され、大規模開発も出来るようになった。従って、歩く楽しみ、ヒューマンスケール、開かれたリズミカルなどの銀座文化を開発条件にするとか、計画当初から情報をオープンにするなどのルールが必要となろう。
志のある街に 森 まゆみ
私の母は日本橋、父は芝の生れで、その中間にある銀座には小さい時から訪れ「暮れなずむ空が見えて、きちんとそろった街」という印象がつよい。その銀座の街から風格ある建物であった交詢社ビルが消えるとき、もっときちんと銀座の良さを見すえてほしかったとし、皆んなで議論してほしかった。昔あった天狗堂など記憶継承を皆んなのものとして、しっかり遺していくべきではないか。
銀座で気になるのは、生活者がいないこと。こういう街で、お年寄りの面倒をみる、こころざしのあるまちづくりって出来るのだろうか、と考えてしまう。地価の高いことが自分の首を締めているのかな、とも考える。やっぱり、お金のない人もとりこんで、若い人も入れる、そして銀座が大好きというファンもまきこめる街であってほしい。
道路の見直し 團 紀彦
結論から言えば、長い歴史の中で特有の街なみを形成してきた銀座が20世紀型再開発の挑戦を受けている、と言える。1920年、都市型再開発を提唱したコルビジエは「輝ける都市」と脚光をあびたが、パリの旧市街は残された。所詮、なじむことの出来ないものと分断された。
京都も江戸も昔は道路は町を分けるものではなくて「むこう3軒両隣」で道の両側でコミュニティを形成した。こうした観点から、道路というものを今いちど見直していくことが必要ではないか。
さらに三枝氏は銀座の住人について「マンションが出来て3千人ぐらいの住人になったが、そういう人と商売をしている人が一丸になっていない」「銀座通りにカラオケ店が進出するなど、銀座フィルターもほころびが出てきている」などの問題を指摘してファンのお客との連携と新しいメディアの活用、という視点を提案した。
また、講演した槇氏は次のような考え方を示した。
「銀座は日本人の持っているふる里のようなもので、それだけに大切な街だ。銀座ファンを新しい媒体にコミュニティのあり方を情報技術を駆使して発信していくべきだ。それには戦略が必要で、じっとしているとカゲってしまうので、新しい競争心で挑んでほしい」 |