昭和54年7月28日に銀座8丁目金春通りで商いを営む旦那衆が集まり、銀座金春通り会が誕生した。
今年が発足30周年にあたり、同会は記念の『金春通り会誌』をこのほど発刊した。
初代会長を務めた、名誉会長の勝又康雄氏は会発足のことについて次のように書いている昭和40年代から銀座の東西南北の通り名が統一される動きがありこの通りも5丁目からの通り名であるすずらん通りに統一した方が便利だからといわれたことがありました。昔から金春通りと呼ばれていたにもかかわらずです。
このとき一念発起して出来たのが金春通り会。当時は銀座で大変な物議を醸したものだが金春能の宗家と交流する中から「路上能」を実現、それを毎年欠かさず継続することで不動の会となる。
この「能楽金春祭り」を実施するまでの苦労話を現金長の千谷俊夫氏が記している。前例にこだわる官公庁を説いて、矢田区長を能奉公に迎えることで、東京都やマスコミをして「銀座に再来した文化事業」のお墨付を得るまでを「あっと云う間でしたが、又一方で永い年月のようにも思えます」と概嘆している。
冒頭に都市史研究家の野口孝一氏が金春通り界隈史を様ざまの視点からひもといていて興味ぶかい。能の流派と江戸の町との関りについては貴重な資料になりそう。記念誌には、金春マーチなど「これだけは知っておきたい金春情報」をコラム風に紹介しているが、野口氏が金春芸者の起源の一つに挙げている「名高い茶屋と遊船宿のあったことです」について言及しておいてほしかった。
裏表紙には「金旗幕」の由来が載っている。通りの両端に飾るもので柳がデザインされている。これを製作した人が地下が生んだ楽物の鈴木源次郎氏。町会長や区議を歴任している。
(記念誌問合せ=伊勢由<銀座8―8―19>TEL3571・2738) |