教育委員会は「中央区文化財保護審議会」の答申を受けて、4月1日付で新たに区民文化財として「聖路加国際病院トイスラー記念館」「北村西望作・燈臺」「海水館跡」の3件を登録すると決めた。これで中央区文化財は75件になる。新文化財の内容は次のとおり。
トイスラー記念館
昭和8年10月10日、隅田川畔の明石町19番に、聖路加国際病院の宣教師館として建設された。米国人建築家のバーガミニイの設計で、鉄筋コンクリート2階、1部木造の西洋風住宅。ヨーロッパの山荘を思わせる重厚な建物で、戦災にもあわず明石町のランドマークとして愛された。庭の桜も風情をよんだ。
聖路加ガーデンの建設で解体されたが、看護大学の街区へ平成九年に移築再建。創建当時の施工技術や構造上の特徴を精密に記録作製し、再利用可能な部材をできる限り用いて復元した貴重な建造物となっている。
建物の外観はハーフティンバー風の意匠で、外部に柱や梁などを表現した造り。室内は伝統的なチューダーゴシック風のデザインでまとまり、1階玄関ホール、リビングなどに重厚な木の内装をもち、階段廻りも特徴的なデザインになっている。明石町10番。
北村西望作「燈臺」
銀座四丁目の数寄屋橋公園交番の裏手に建つ彫刻。北村西望が昭和6年に製作し、帝国美術院第12回美術展覧会に出品したもの。兜を装った青年が炬火を棒げて獅子を従えている像。
これは昭和8年9月1日に関東大震災の10周年記念塔として設置されたもの。作者は記念塔の建立にあたり、石造の台座設計に携わり、台座にあるブロンズ製の鋳造銘板の「不意の地震に不断の用意」やひまわりの銅板画なども製作している。北村は昭和30年に長崎市の「平和記念像」を製作している。
「海水館」跡
宮城県仙台市の建物を移築して旅館に下宿も兼ねて開業した。東京湾の入口にありながら閑静な地であるところから、明治末期の多くの文学者が執筆に利用した場所として知られる。建坪は130坪の2階建て、部屋は24あまりあったという。周囲に松林があって、風光明媚なたたずまいであったという。
この場所で明治40年から島崎藤村が自伝小説「春」を、小山内薫は44年から「大川端」を執筆。さらに詩人の吉井勇は大正2年から止宿して詩集「毒うつぎ」、三木露風は詩集「白き猟人」をまとめた。露風は「月島の広き草原風吹きて東の空の涼しかりけり」と唱っている。
海水館は関東大震災(大正12年)で全焼するが、その時の石畳が今も坪井宅に残っている。海水館の一角でいまだ坪井チョウ子さんが下宿を営んでいる。今回の登録について審議会は「明治から大正年間にかけて著名な文学者が種々の作品を執筆した場所として中央区にとって貴重な史跡」と文化財としての価値を指摘している。 |