昭和47年に車洪水といわれた東京で幹線道路が交差する浅草橋交差点に地下道がお目見えして、日本橋問屋街の快挙として注目された。買い物客が交差点で危険にさらされないとして、地下道は歓迎された。
ところがバリアフリーという新しい視点が都市で重要視されるなかで、地下道など階段移動に冷たい視線が注がれる時代となってきた。
一昨年から問屋街に浅草橋交差点の横断歩道を復活しようという声がたかまり、地元町会が関係機関に働きかけたところ、駐車禁止対策とセットで復活が実現した。
2月23日午前10時から安全祈願を挙行したのち、靖国通りから江戸通りに実現した2つの横断歩道で渡り初めが行なわれた。
このあと東京問屋連盟の会館で祝賀の会が開かれた。日本橋四の部連合町会の浅野会長は、横断歩道の実現によって「人の流れも活発になり、バリアフリーや経済効果の面でも効果があがると大いに確信しています」と挨拶。国道事務所の和田副所長は、横断歩道の交通安全上の効果を評価しつつも、地元の意向を受けて関係四者(国道、警察、都、区)で検討会を設けて実現に至った経過を説明。久松警察に就任したばかりの阿萬署長は「今後は安全と渋滞防止がキーワードになるでしょう」と語った。矢田区長からも地元の意向が実ったことに感謝の挨拶が寄せられた。立石都議の発声で盃をあげて横断歩道実現を祝った。渡り初めには地元の町会と東京問屋連盟、横山町奉仕会など団体の役員が多数参加した。 |