日本橋や京橋など、江戸開府当初から繁華街のある中央区は、東京の中でも歴史のある地域です。人が集まるところは荷も集まるもので、荷運びには舟運が中心だった当時、このあたりの水路はとても発達していました。水の都といってもいいくらいかもしれません。
日ごろなにげなく歩いている道が、昔は水路だったということも珍しくありません。水路には必ず、河岸と呼ばれる人や荷物を上げ降ろすために利用されている岸辺があります。
以前日本橋に魚河岸があったのは有名な話ですが、他にも多くの河岸がありました。河岸の名は単純に町や川の名からついたり、魚河岸、米河岸、竹河岸など、扱う荷でつくなど様々です。また、魚河岸の向こう岸は、木更津からの荷が届いたので木更津河岸と呼ばれました。京橋の左右には竹河岸に大根河岸(だいこがし)。現在、京橋の交番脇には「京橋大根河岸青物市場跡」の碑が建っています。このあたりには江戸時代から震災頃まで青物市場があったことからついた名前です。
水路が姿を消したのは戦後復興期で、いまではほとんどの水路は車道に変わりました。ときには街が経てきた歴史を想いながら、新しい街並みを散策するのも楽しいものですよ。
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