1.日本橋の風景 半蔵門線三越前駅の出口階段を上がると真っ先に目に飛び込んでくるのは、高架高速道路の側面に書かれた「日本橋」という文字です。左手には魚河岸の碑、交差点向こう側には道路元標があり「ここは、正しくお江戸の中心地」といった感があります。 現在の日本橋は、明治44年に石造二連アーチの道路橋として造られました。関東大震災や第二次世界大戦を生き残ってきた橋です。明治・大正の文化が残っていると思います。
2.日本橋をめぐる歴史 江戸時代の日本橋は、日本中から様々な積荷が集まっていたところでした。また、魚河岸に集められたのは、魚だけでなく米俵や蒔等もあったそうです。多くの人々が集まることにより、レジャー施設や情報センターのようなものも自然発生的に存在したようです。 現在の日本橋南側にある交番の辺りには「高札場」と呼ばれる幕府の広報センターの役割を持つ施設がありました。日本橋の治安を司る施設が当時も同じ場所に存在していたのは興味深いところです。 因みに、現在の新日本橋駅付近には、オランダ商館長一行の定宿の「長崎屋」があり、日本人は比較的自由に出入りできたと言われています。当時のヨーロッパ人から知識を吸収し、広めていった人も多く、日本橋は経済・流通のみならず知識・情報の発信地としての役割もあったようです。日本橋から長崎屋付近までは多種多様な店舗があり、文化の中心地として栄えていました。明治維新後、西洋文化の流入によって日本橋は「洋式木橋」と呼ばれるフラットな形になり、鉄道馬車の往来が可能になりました。同時に、日本橋南側には、電信局や多くの企業が集まり始めました。
3.日本橋の土地の持つエネルギー 江戸時代から現在まで日本橋川の流れに沿って物流が行われていると言えます。江戸時代は舟でしたが、今ではトラック等の車です。渋滞情報がいつも流れているのも、興味深いところです。川と高架高速道路かの違いはありますが、日本橋にはいつも人・物・カネが流れているように感じられます。 また、日本橋には文化の継承を感じずにはいられません。明治維新後に登場した丸の内、戦後発展した霞が関とは、異なった、日本橋独特の経済発展を感じます。江戸時代から続く老舗の多さだからでしょうか?それだけではないと思います。この町から感じられる息吹、そのようなものを感じます。 日本橋とその周辺の歴史的建築物の前で目を瞑ってみてください。きっと江戸の空気を感じ取ることが出来ると思います。